髙柳雄一館長のコラム

オンラインで通過儀礼に参加して感じたこと

年明け早々、つくばにある高エネルギー加速器研究機構から、昨年実施された創設50周年記念事業の記念誌と筑波山麓の工房で造られた笠間焼の花瓶が私宛に送られてきました。

高エネルギー加速器研究機構はKEKと呼ばれていますが、毎年多摩六都科学館で共催のイベントを実施していますからご存じの方もいらっしゃるでしょう。

KEKは1971年、筑波山に近い場所に高エネルギー物理学研究所として設立されました。この研究所は、現在の西東京市にあった東京大学原子核研究所で進められていた高エネルギー物理学研究活動の中心を引き継いで、大学共同利用研究所の第1号として誕生しました。

そんな歴史的関係を活かして、多摩六都科学館はKEK発祥の地にある科学館として、KEKと科学イベントの共催など、KEKの研究広報や教育活動にも協力関係を維持しています。

高エネルギー物理学研究所として設立されたKEKは1997年に高エネルギー加速器研究機構として活動を開始しますが、1971年以来、「スーパー顕微鏡」とも言われる加速器の研究開発と、これを用いた分子、原子、原子核、素粒子のミクロな世界の観察を活かした基礎科学研究において世界的な拠点の一つとして成長してきました。国内においては、大学共同利用機関として大学の研究者や大学院生に最先端の研究の場を提供し、日本の科学技術の向上に大きく貢献してきました。

KEKの創設以来50年を迎えた2021年は、KEKにとって記念すべき年に当たりました。私は、2001年9月から2003年3月までKEKに在職し、KEKの広報室設立に関わったこともあり、記念誌に広報室設立の思い出を投稿し、昨年11月に開かれた50周年記念シンポジウムで、新型コロナウイルス感染リスクを避けるためにオンラインでしたが、30分足らずのスピーチで参加しました。はじめに紹介した創設50周年記念事業の記念誌と記念の花瓶はその時の返礼の品でした。


▲創設50周年記念事業の記念誌と筑波山麓の工房で造られた笠間焼の花瓶

▲KEK50周年を記念し、花瓶の表面には泡箱で検出された素粒子の軌跡が描かれている

新型コロナウイルス感染症拡大の勢いは今も続いています。これまで対面で行われた会合も、今ではほとんど全てオンラインで実施しています。本来は全員が開催される場所に集まって行うべきシンポジウムまで、オンラインで参加した体験は、思い出を語り共有する機会を失った忘れられないものとなりました。

人間の営みには身近な人が集まって思い出を作る通過儀礼があります。誕生祝いや成人式など、人生の階段を歩みながら、時の流れを通過する人間には不可欠な事柄です。関係する人間が、思い出を共有するためにも、時と場所を同じくして営む通過儀礼は人間にとって必要不可なものかもしれません。その意味ではKEKにとって50回目の誕生日とも言えるKEK創設50周年記念シンポジウムは、KEK関係者全員の記念すべき通過儀礼でもありました。今回、この通過儀礼にオンラインでしか参加できなかった体験は、そのことを痛切に物語っていたと感じています。

コロナ禍での異常な体験を思い出す記念品として頂いた花瓶は、筑波山麓の工房で作陶された星型の口を持つ丸い花瓶です。この特徴ある花瓶をみて、KEK在職時の事柄も思い出しますが、同時に、新型コロナウイルス感染症が一日も早く終息して、安心して通過儀礼をおこなえる日が来ることを願っています。


高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)