髙柳雄一館長のコラム

月見る月の月のお話~その1、裏側に兎は見えない~

この夏、ドイツ人宇宙飛行士の講演会に参加し、ドイツでは、昔から人々が月を眺めて、そこに「薪を背負った男」の姿を想像してきたことを知りました。日本では月に「杵をつく兎」の姿を想像してきたことは良くご存じだと思います。私も子どもの頃に月の兎の探し方を教えてもらいました。今でも月を見ると、無意識に兎の耳にあたる二本の黒っぽく延びた細長い場所を探し出し、昔から馴染んだ月に出会って安心することがあります。この同じ形をドイツの人々は薪を背負って立っている男の二本足と想像していたようです。

月面で、兎や薪を背負った男に見える部分は月全体を覆う白っぽい「月の高地」と呼ばれる場所を背景に黒っぽく広がる「月の海」と呼ばれる場所です。「月の海」は勿論、海ではありません。望遠鏡で観測すると分かりますが、「月の高地」は名前が示す様に高い場所です。これに対して「月の海」と呼ばれる場所は、巨大なクレータで生じた窪地を埋める黒っぽいなだらかな面を見せています。「月の高地」が陸だとすると、そこは海にも見えます。兎や薪を背負った男の姿は、この「月の海」をどう眺めるかによって説明されます。
月は地球上どこから眺めて、同じように見えるはずなのに、見る場所が異なると見方まで違っていることには驚かされます。「月の海」が、他にどんな姿を想像されているのか調べてみたことがあります。それによると、蟹の形、蛙の形、本を読む女の人の形、中には説明を読んでようやく理解できたものもありました。大きな丸い「月の海」を巨大な目の形として捉え、古代エジプトの神ホルスの目として眺められてきたと言うのです。文化や歴史が違う世界では、月面には実に色々な形が想像されてきたことが分かりますね。

月の形は、太陽の光が生み出す影の変化で毎日、新月、三日月、半月、満月などと姿を変えます。しかし、兎に見える黒っぽい部分の場所は変わりません。このことから月が地球にはいつも同じ面を向けていることが確認できます。このいつも地球を向いている面を月の表側と言っています。ですから、地球から見えない反対側は月の裏側となります。
地球からは見えない月の裏側はどんな風に見えるのでしょうか?月の裏側は、1959年、ソ連の月探査機ルナ3号による観測ではじめて人類の目に触れました。その後、アメリカや旧ソ連の月探査機が裏側を撮影し、21世紀になると日本の月探査機「かぐや」による精細な月の裏側の画像も公開されています。そこ結果、分かったことは、月の裏側には表側で人類が想像したような兎や薪を背負った男に見える黒っぽい場所はほとんどないことでした。

月の裏側には月の高地に当たる地形が目立って多く広がっています。高地の地形の起伏も表側より裏側の方が激しく、月全体で月表面の最高地点と最低地点のどちらもが月の裏側にあることが発見されています。それを反映しているように岩石の層である地殻も表側に比べて平均すると裏側の方が厚いことが分かってきました。
20世紀まで人間には眺められなかった月の裏側が、こんなに表側と違ったのはなぜでしょうか、次回は月の起源とその後の月と地球の熱い関係で月の裏表が形成されてきたと言う最近の月探査の研究成果について触れてみたいと思います。

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髙柳雄一館長

高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年、東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを 歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。

2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)