髙柳雄一館長のコラム

新年を前にして~冬至の思い出~

 冬至の日が来ると思い出すことがあります。この日、北半球に住む私たちにとって、昼間の太陽の運行が一年で最も低い位置を通る日だという事は皆さんもよくご存知でしょう。冬の太陽は真昼も高く昇らず、太陽の日差しは弱くなり、真夏に比べると冬の太陽は勢いを失った姿に思えます。そんな太陽の変化がこの日を境に変わります。冬至を過ぎると真昼の太陽の高さは少しずつ増大し、それに伴って太陽の勢いは回復して来ます。
冬至は地球の自転軸が太陽を回る公転面に対して傾いていることで生ずる季節変化を特徴づける特別な日となっているのです。この関係は教室やプラネタリウムで学んだ方も多いのではないでしょうか?現代の私たちには常識になっていると言える知識ですが、人類は地上で生活をする中で、遥か昔から恵みをもたらす太陽の勢いが、秋から冬へと衰え始め、冬を迎えても冬至を過ぎるとまた回復することを知っていました。

 私もそれを知らされた事があります。それは冬至という特別な日が一年の中で何時なのかを古代人がよく知っていたことを示す遺跡を訪ねたときでした。
アイルランドにニューグレンジと呼ばれる先史時代の遺跡があります。この遺跡は東側を流れる川に接した広大な丘の上にあります。この丘の上に差渡し76メートルほどの巨大な円形のお墓が建造されています。丘の地表からは高さ12メートルに盛り上げた丸い円形墳墓の内部に遺体を埋めた墓室がありました。このお墓が冬至を意識して建造されていたことを物語るのは、墳墓の東側にある入り口でした。
この入り口はとても狭いものですが、内部に入ると墓室に繋がる18メートルほどの狭い道が設けられています。取材で訪れた時、多少身を屈めたようにも記憶していますが、遺体が置かれていたと想像できる墓室にまで行くことが出来ました。そして、この道が墓室まで真っ直ぐに通じていることがよく分かりました。

Newgrange_ireland_750pxこの墳墓東側に設けられた狭い入り口、この口が、遺跡が造られたと推定されている紀元前3100年から2900年頃に冬至の朝の太陽の光を正確に墓室へ取り入れるように設計されていたという研究があります。それに興味をもって、ここを訪れたのですが、当時の人々が、冬至の朝日が差し込む方角を熟知していたことを実感しました。狭い入り口ですから、朝日が差し込む日時も冬至の朝に限られていることにも気づかされたからです。
冬至の朝の太陽が川を隔てた東の地平線に出現したとき、その最初の光が墓室に差し込む様子を想像し、当時の古代人がそれによって何を願ったのだろうかと考えたことを思い出します。勢いの衰えた太陽が回復する冬至、その再生の力に古代の人々が何を願ったか、場合によっては死者の再生を願ったのかもしれません。

 2014年の冬至は新月の日に当たりました。この日を境に月の姿もまた満月に向かい再生を始めます。冬至と新月の日が重なるのは19年に一度です。今年は太陽と月が再生の歩みを共に始める素晴らしい冬至となりました。勿論、こんな宇宙の巡りあわせを古代人も熟知していたに違いありません。
ニューグレンジ遺跡の人々に思いを馳せながら、太陽と月が共に勢いを再生させる冬至を経て迎える新たな年に素晴らしい未来を期待したいものです。

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髙柳雄一館長

高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年、東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科 学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを 歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。

2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)