髙柳雄一館長のコラム

科学の知識で世界を見ること

 私の部屋には、新潟在住の天体写真家で天体画家でもある沼澤茂美さんのカレンダーが掛けてあります。今年1月・2月のカレンダーには「月夜の白鳥と冬の星座(新潟県村上市)」と題された風景画が添えられています。画面は、冬の夜空の下、湖水面に白鳥が群がる湖岸を囲む森林の影が地平に連なり空と湖水を隔てています。夜空を注意して見ると、湖岸に迫る木々のスカイライン上には「オリオン座」の星々が広がり、その右側には光りに包まれて白く輝く満月が大きな姿を見せています。
 満月の周辺をよく見ると、「おうし座」の赤い目玉のアルデバランを含むヒヤデス星団と「おうし座」の肩に位置する有名なプレヤデス星団(すばる)との間に月が位置を占めていることに気が付きます。いずれにしても「オリオン座」と「おうし座」が生み出す壮大な冬の夜空の中に満月を上手く登場させ、地上の湖水面に集う白鳥たちが湖面に映える月の光と絡んだ素敵な世界を作り上げた作品です。

 そんなことを感じてカレンダーを眺めてきたのですが、あるとき、「オリオン座」のオリオンのべルトに当たる三ツ星に目をやって、三ツ星が地平線の木々が連なるシルエットとほぼ平行になりつつあることに気がつきました。よく見ると、オリオンの左の足に位置する青白い一等星リゲルの輝きは地平線から突出した大木にもう触れています。このことから、オリオン座が西の地平に沈み始めていることが分かります。さらに月が満月であることを考えると、この夜空はもう明け方の薄明近い頃なのだとも推定しました。
 この風景画で描かれた夜空が何時ころかまで判断するには、東の地平から夜空に昇ってくるとき、オリオン座の三ツ星は地平に対して垂直に近く見え、西の地平に沈んで行くときは、オリオン座の三ツ星は地平に対してほぼ平行に見えると言う天文学の知識が必要です。また満月の時、月と太陽が正反対の方向に見えると言う常識も勿論利用できなくはありません。ここで面白いのは、この風景画には描かれていない、肉眼では見ることができない知識を私たちは利用して画像を見ることができることです。

 世界を見るとき私たち人間は、それまでに体験し知識として蓄えた情報を利用しているということはよく言われます。目で見えるものだけからはよく世界が見えないという表現も許されるかもしれません。見るという一般的な人間の営みには、感覚器官としての目の働きで見たときに直接手にいれた情報以外に既に脳の中に色々な形でそれまでに蓄積されていた情報知識を駆使した判断や解釈も含まれているに違いないからです。
 百聞は一見に如かず、論より証拠。ことわざには、肉眼で見ることの重要性を強調した表現が多くあります。しかし、世界を見るとき、人に聴いたり、本で読んだりして信ずることができる論や知識を役立てることも大切です。人間の歴史をみると、科学の発展とともに私たちは目ではとても見えない世界に関して膨大な情報を獲得し、世界を見るときにその知識を利用してきました。論と証拠で検証された科学の知識は人間にとって信じることができると考えられたからです。

 冬の夜空の風景画の話から、科学の知識で世界を見ることにまで話が広がりました。
 夜空を肉眼で眺めて、現代の私たち人間は、そこに138億年前に誕生した世界が広がっていると見ることが出来るのも不思議な気がしますね。

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髙柳雄一館長

高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年、東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科 学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを 歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。

2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)