髙柳雄一館長のコラム

地球サイズを決めた夏至の日の計測

 6月は休日・祭日が無い月として知られています。春から夏を迎えるこの季節、梅雨の他には、「父の日」はともかく、一般には印象に残る行事がないようにも感じます。ただ、先にも夏を迎えると書いたように、この月には夏至と言う季節の節目を示す日が含まれています。春分の日や秋分の日が休日になっているのに、おなじ季節の節目をしめす夏至の日や冬至の日が休日になっていないことは不思議な気もします。
 四季に恵まれた地域に住む人間にとって春分の日、夏至の日、秋分の日、そして冬至の日は、いずれも季節の節目となる大切な時を知らせる日となっていました。そのことは言葉にもはっきり記されています。例えば夏至の場合、夏に至ったとことを示す漢字表記がそれを物語っています。今回は、夏至の日にまつわるお話をひとつ紹介してみます。

 皆さんは地球がほぼ球形をしていることをご存知ですね。では、その大きさはどのくらいでしょうか?それを知るために地球の周囲の長さを史上初めて計測した科学者がいます。ヘレニズム時代のエジプトで活躍し、アレクサンドリア図書館の館長をしていたギリシャ人の科学者エラトステネス(紀元前275年 – 紀元前194年)です。
 紀元前212年、エラトステネスは、夏至の日の正午の太陽が、アレクサンドリアの地表に立てた棒の北側にできる影の先端を指す太陽の光と棒の角度がおよそ7.2度あることを計りました。一方で、彼はアレクサンドリアの真南、現在の単位では約800キロメートル離れたシエネの町では夏至の日の正午に地表に立てた棒には影が生じないことを知っていました。エラトステネスはこの事実を利用して地球の周囲の長さを計算したのです。
 このお話は、科学の歴史の中では有名です。シエネの町で棒に影が出来ないと書きましたが、深井戸の底に太陽の光が届くことでその関係が知られたとも言われています。いずれにしても、ここでは簡単に書きますから、興味をお持ちの方は詳しく調べてみてください。
 まず、エラトステネスは太陽光とアレクサンドリアの棒が成す角度から、それがアレクサンドリアとシエネの間の緯度の差であることを導きます。そして、その間の距離が約800キロメートルあることを使って、地球の周りの長さを求めました。こんな計算です。7.2度を50倍すると360度になります。この関係を使うと、地球の周囲の長さは約800キロメートルを50倍して約4万キロメートルになります。これは現在の私たちが知っている地球の周囲の長さに近い値になっています。夏至の日の太陽の影を利用して、エラトステネスは人類史上初めて地球の周囲の長さ計り、地球の大きさを発見したのです。

 夏至の日の正午にシエネの町の地表に立てた棒に影が生ぜず、深井戸の底まで太陽光が届いたのは、このとき太陽がその真上に位置していたことを示しています。これは夏至の日の正午に、空の真上、天頂に太陽が位置する緯度にシエネの町があったためです。この緯度をとおる地球の緯線を北回帰線と呼んでいます。
 回帰という言葉はもとへ帰ることという意味ですが、夏至の日を過ぎと正午に太陽が真上にみえる緯線はもとへ帰りはじめ、赤道の方へ移動して行き、秋分の日には赤道上、冬至の日には南半球にある回帰線、南回帰線を通る緯線に至ります。ここでの回帰が意味することは、冬至の日を過ぎると太陽が真上に見える緯線はまた赤道の方へ戻りはじめ、春分の日には赤道上に位置することを示しています。
 緯度で定義すると、熱帯は赤道を中心として南北の回帰線に挟まれた地帯と言われていますが、この話を書きながら、熱帯とは地表に立てた棒の影が正午に無くなる日が一年に一度はある場所とも言えることに気がつきました。いずれにしても温帯に住む私たちにとっては見ることが出来ない現象だけに興味深く感じます。

 夏至の日の正午、シエナの町で太陽が生み出していた棒の影が消える、あるいは深井戸の底にまで太陽光が届くと言う現象は古代人にとっても不思議に思えたに違いありません。それだけに太陽の運行に興味を持っていた人々の間では話題になっていたことが想像できます。しかし、そのことを知り、その関係を使って地球の周囲の長さを測ることが出来ると考えたエラトステネスの着想の素晴らしさには驚きます。
 太陽が遠い存在になる梅雨の季節ですが、夏至がある月の話題として、太陽の話題をとり上げてみました。今年の夏至の日は6月22日。もう直ぐ夏ですね。夏休みは今年も多摩六都科学館でお会いしましょう。

——————–

髙柳雄一館長

高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年、東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科 学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを 歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。

2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)