髙柳雄一館長のコラム

オオタカに出会えて思ったこと

多摩六都科学館も臨時休館の日々が続いています。私にとっても自宅での仕事が日常となりました。コロナウイルス感染拡大の勢いを止めるため、戸外で人間同士が集まる機会をできるだけ減らすことが全国で社会的に求められています。個人としてできることですから、私もできるだけ外出を避けた生活をしていますが、室内での仕事が一段落したときなど、お天気の良い日には家から出て、これまで以上に遠くまで散歩をすることにしています。

室内で過ごす時間は、どうしても体を動かすことが少なくなりがちです。意識して体を動かす体力維持に有効なトレーニングを行えば良いのですが、これまでは散歩をすることで体力維持に必要な運動を補ってきました。自宅での仕事が日常となった現在、私にとっては戸外で出会う人との距離を保ちながらも、長い時間を掛けて散歩をすることが体力維持に最適に思われたからです。これまで以上に遠くまで散歩をすると述べた理由の一つです。

4月の終わりごろ、そんな思いでいつもは自宅近くの神田川沿いを散歩するのですが、我が家から、井の頭通りを北へ横切って大宮神社の近くにある和田掘り公園へも連なる善福寺川緑地へ出かけてみました。これまではバスで行く距離だと思っていましたが、公共の交通機関で人との接触を避けねばと思い、地図を頭に描きながら、歩いて行く道を探索しました。
その結果、意外にもそれほど時間を掛けずに善福寺川緑地に歩いて辿り着きました。



道なりに善福寺川と出会った所は杉並区の大宮と成田の境にあることを示す「大成橋」です。
ここから川筋に沿って、南側に広がる緑地を上流に向かって歩いてみました。マスクをして距離を開けながら緑地内を散策する家族連れに何度も出会い、臨時生活の中で過ごしている人々の日常を垣間見た思いをしました。そんな印象を持たざるを得なかったのは、緑地内にある公園では、子供たちが利用していた遊具が全て立ち入り禁止と赤字で記入された黄色いテープで巻かれ、ブランコは全て取り払われている状況が背後に見えたからです。

「大成橋」から上流に二つばかり橋を過ぎて、善福寺川緑地の南岸を歩いていた時です。川の北岸に沿って背の高いヒマラヤスギが何本も連なって見える場所に来ました。
そこで対岸のヒマラヤスギ先端部に向け、望遠レンズ付きのカメラを組んだ三脚を配置している一団の人々と出会いました。
多少は距離を気にしながらも、好奇心にかられて近づき、「ここで一体何を撮影しているのですか?」と尋ねてみました。その結果、対岸のヒマラヤスギの上段に伸びたある枝の上にオスのオオタカが止まっていることを知らされたのです。

私もヒマラヤスギの枝先に青みを帯びて広がる葉群に埋もれた枝に止まった、白い胸を見せたオオタカの姿を見ることができました。生まれて初めてオオタカを見たのです。
予期せぬオオタカとの出会いをもたらした善福寺川緑地の散歩コースを、その後も、お天気よい日には何度も繰り返しています。とても残念ですが、こちらの期待に反してその後は、オオタカに一度も出会ってはいません。オオタカとの最初の出会いは非日常的な臨時の生活がもたらした私にとって忘れられない体験となっています。

考えてみると、色々な体験を重ねて生きている私たち人間にとって、現在は、あまり楽しい日々とは思えません。臨時休館が一日も早く終了することを願いながら、こんな時に出会う予期せぬ体験の中にも、素晴らしい体験があることも期待して過ごしたいと思っています。





▲善福寺川緑地のヒマラヤスギ









高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科 学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを 歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。 2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)