髙柳雄一館長のコラム

2021年02月一覧

カレンダーにみる「冬のなごり」

令和3年の『理科年表』暦部で二十四節気(にじゅうしせっき)を調べると、今年の立春(りっしゅん)は、2月3日。立春の次に来る節気である雨水(うすい)は2月18日です。

二十四節気は春夏秋冬の四季に対応し、各季節には六つの節気があり、春の節気は立春、雨水、啓蟄(けいちつ)、春分(しゅんぶん)、清明(せいめい)、穀雨(こくう)と呼ばれています。立春と雨水は2月、啓蟄と春分は3月、清明と穀雨は4月と、節気は、どの月にも2日ずつ存在します。節気に興味のある方は『理科年表』などで調べてみてください。

季節の推移を示す節気は地上の季節を支配する太陽の運行を観測して決められています。現在、私たちが利用しているグレゴリオ暦と呼ばれるカレンダーは太陽の運行に対応したカレンダーですから、年毎の節気の日付の変動も比較的少なく、カレンダーで節気を知り、季節の推移を感じることも多く、2月が春到来を示す月と言われるとうなずけます。ただ、グレゴリオ暦、その原型となったユリウス暦などの太陽暦である西暦では、冬を12月、1月、2月と捉え、2月を冬の最後の月とする説明もWEBでは良く目にします。確かに2月は、私たちにとって、春の到来と冬のなごりを持つ月であることには変わりません。

今回は、2月のカレンダーを眺めてその背景に思いをめぐらせてみました。
2月のカレンダーで一番特徴的なのは月の日数です。2月は12の月の中では、最小の日数、平年で28日、うるう年で29日であることは皆さんもよくご存じでしょう。他の月は30日か31日になるのに、2月だけ、何故この数字になるのかと疑問に思った方もいらっしゃるでしょう。私も、今も覚えている子どもの頃に抱いた疑問の一つです。

私たちが使っているカレンダーで、2月が28日しかなく、うるう年には29日になる理由は、国立天文台のホームページの天文情報中に置かれている「よくある質問」に詳しく説明されています。結論だけを紹介しますと、現在、私たちが使っているグレゴリオ暦は古代ローマの暦が元になっていますが、古代ローマで使われていた暦では、現在の2月が一年の終わりの月だったことが原因となっています。

その説明では、紀元前8世紀に使われていた古代ローマの暦で一年の月は10しかなく、3月から始まり12月まで割り振られ、それ以後の農業をしない冬の間には月はありません。その後、制定された暦で、この10の月に、今の1月と2月にあたる月を追加し、今の2月を一年最後の月としました。月の日数を月の満ち欠けに合わせて決めていたこの暦では、1年の日数は355日となり、その結果、季節と日付がずれてしまうため、およそ2年に1度「うるう月」を入れていました。「うるう月」の調整の際、年末の2月を23日か24日とし、その翌日から、27日間の「うるう月」を挿入していたのです。

しかし、ユリウス・カエサルの時代、政治的・経済的な混乱や戦争などで、「うるう月」が正しく挿入されなかったことにより、暦が季節に比べ2ヶ月以上も進んでしまいました。カエサルは暦を改革し、平年を365日、4年に一度のうるう年を366日とする「ユリウス暦」を制定し、紀元前45年から使い始めました。この「うるう月」を廃止したユリウス暦で、年の始めは今の1月と定められ、今の2月は「2番目の月」になりました。グレゴリオ暦は、ローマ教皇グレゴリウス13世が1582年10月15日、ユリウス暦で問題となっていた春分の日のズレを解消して制定した暦です。現在、私たちが使っているカレンダーはこのグレゴリオ暦なのです。

2月のカレンダーにみる「冬のなごり」に思いをはせたく、2月のカレンダーが生まれた歴史にいささか関わりすぎました。ただこれまでお話してきたように、西洋の太陽暦が生まれた背景を知ると、2月は冬の終わりに位置する月であったことがよく分かります。最後にそんな2月の風景をとても美しく描いた有名なカレンダーの画像を一つお見せしましょう。



「ベリー公のいとも豪華(ごうか)なる時祷書(じとうしょ)」に描かれた2月のカレンダーです。時祷書とはキリスト教徒が用いる祈祷文(きとうぶん)、賛歌(さんか)、暦などからなる日々の宗教的つとめを記した本です。「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」は15世紀の終わりに中世フランス王国の王族ベリー公ジャン1世が作らせた豪華な手書き本で、一年の月ごとに人々が過ごす生活が美しく詳細に描かれていることで有名です。まだユリウス暦の時代のカレンダーですが、お見せする2月では、夜空を特徴づける「みずがめ座」と「うお座」が天空に描かれ、地上には完全に冬の生活が描かれていますね。これを中国伝来の東洋の太陽暦ともいえる二十四節気の2月と比較すると大変興味深いものがあります。

いずれにしても、まだ寒い日が続き、冬のなごりを残す2月ですが、春の到来に期待して2月のコラムを終わることにいたします。

 


高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)