髙柳雄一館長のコラム

今年の花見を振り返る

 通勤途中、バスの車窓からあちこちで眺めて来た桜の花も、ようやく見頃を過ぎたようです。花びらをまだ留めている枝垂れ桜に出会うこともありますが、そんな時にも、花見に行った今年の思い出が蘇るのは不思議な気がします。花の季節も過去のものになりつつあると感じているせいかもしれません。
 毎年、春になると私たちは色々な機会に桜の花に出会います。桜の満開予想を伝える花便りに接すると、予定を立て、桜の名所と言われる場所に家族や友人たちと訪れて、そこに集まった花見客と一緒に桜の花を楽しむ方も多いのではないでしょうか?
 日本では花見と一言で表現されるライフ・スタイルがあり、花の名前を言わない限り、花見の花は桜の花と暗黙の了解があることもご存知でしょう。花見は日本人にとって春の過ごし方の中で誰もが一度は経験する典型的なものだと言えます。日本人の誰にとっても花見の思い出は毎年更新されて新たに積み重なっていることにも気づかされます。

 今年、私は小学校時代の同級生だった友人と連れ立って板橋から北区を流れる石神井川に沿った桜並木を数時間掛けて歩きながら花見を楽しみました。薄曇りでしたが、お互いに花を見ながら、これまでに体験した花見の思い出を語る忘れられない機会となりました。桜の花びらが灰色の空を背景に点々と連なり花の雲の様に浮かぶ世界の中で、子供のころから、大人になって現在に至るまで、過去の花見で体験し印象に残る様々な個人的思い出が重なり、同行する相手の話を聞きながらも自分だけの世界にも浸ることが出来ました。
 花見で出会う桜の花は目で見る限り毎年同じに見えますが、見る時刻や場所、そして何よりも一緒に花をみる仲間は年毎に違っています。そんなことを考えるとこれまでに体験した花見はいずれも人生に一回限りの体験になっています。毎年同じように見える桜の花も、その年に咲いた花は散ってしまえば二度とこの世で見ることが出来ません。私たちが見る花も年毎に違った花です。花見を共にする人も花見をする花も、自分に取ってはどちらも人生に一度限りの出会いの対象であることに違いはありません。

 一期一会という言葉があります。一生に一度限りと言う意味を簡潔に表現した言葉です。
 今回、花見の思い出を書き始めて真っ先にこの言葉を思い出しました。考えてみると、私たちが経験する事柄は場所や時刻の違いまで含めるとどれも一生に一度限りと言えます。おそらくそんな事実は誰にとっても当然すぎることであり、一期一会は日常体験では意識されない事実の一つになっているような気がします。
 一期一会を意識させた今年の花見は、それが日常体験ではなく、花との出会いを通して思い出す入学式や卒業式、入社式など、人生の節目にまで思いを馳せる貴重なひと時となりました。花見の機会を設けて過去にも思いを馳せる営みは、花見を春の行事として続けてきた私たちの祖先も楽しんできたに違いありません。花見が意識させる一期一会は、日本人の春の行事である花見が持っている魅力を端的に表現しているような気もします。
 今年の花の季節も過去のものになりつつあります。皆さんは今年どんな花見を楽しみましたか?それが良い思い出としていつまでも残ると良いですね。

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髙柳雄一館長

高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年、東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科 学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを 歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。

2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)