髙柳雄一館長のコラム

科学の知識で世界を見ること その2

 昨日、上野公園を歩く機会がありました。まだ桜は早いと思っていましたが、例年、花見客で混雑する沿道のあちこちにあるオオカン・サクラの木々にはピンクの花ビラがいくつも広がっているのを目にすることができました。花の季節はもう始まっているようですね。
 そんな春の話題を取り上げようと思っていましたが、先日、前回の話題で触れた沼澤茂美さんからすばらしい冬の星空の写真をこのコラム用に頂きましたので、今回も、その話題の続きを書いてみます。まずはその写真を御覧ください。

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 ここで前回の話を覚えていらっしゃる方々の中には「あれっ、確かカレンダーに使われていた冬の夜空は風景画と言っていた」と思い出される方もいらっしゃるはずです。
 ご指摘の通りです。実は、ご覧のようにこの写真があまりにも幻想的な風景なので、沼澤さんが素晴らしい天体画家であることを知っている私はこれを精密な風景画だと信じてしまいました。その後の沼澤さんから頂いたメールで、これが写真であり、2012年2月29日の夜に撮った写真であることを知りました。
 私にとってもう一つ衝撃的な事実を知りました。画面の中で明るく輝く月が満月ではなく月齢7の上弦寸前の月だったことです。確かに、この写真の月をご覧になってそう言えば満月ほど明るくは無いとお思いの方もいらっしゃることでしょうね。
 考えてみるとこの月を満月と思い込んでしまったことが、前回のお話の中で、この夜空の時刻を狂わせていました。画面からは確かに冬の星座である「オリオン座」のリゲルが西の地平線に沈みつつあることは事実です。でも月齢7の月が西の地平線近くに傾く時刻は明け方ではありません。撮影日が2月29日であることを考えると、この季節では、冬の星座は夜半には、もう西の地平に沈んでゆくはずです。事実、この写真は23時20分頃の撮影だったと言うことも知らされました。

 前回、私たちは科学の知識で世界を見ていることをお話しました。そのことは基本的に間違いではないと思います。しかし、今回の体験でいくつか教訓になったことがあります。この写真では月の月齢を知ることはまず不可能です。でも月齢が判定不能ならその条件で知識を利用して推論を進めていれば時刻の誤りは防げたはずです。また月齢が不明でも、撮影日が分かっていれば「オリオン座」の傾きから夜空の時刻も推定できたに違いありません。
 科学の知識で世界を見るとき、見えている世界に関する正しい情報をできるだけ多く手に入れることが科学の知識を正しく使うために不可欠なことを今回の体験は具体的に教えてくれたような気がしています。
 今回のお話では、前回の結論の誤りの訂正とそれが生じた背景を眺めてみました。冬の星座ともお別れの季節になりました。最後に、皆さんは沼澤茂美さんが撮影した新潟県村上市大池の湖面に群がる月夜の白鳥たちを眺めながら去りゆく冬の星座にも思いを馳せてみてください。

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髙柳雄一館長

高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年、東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科 学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを 歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。

2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)