髙柳雄一館長のコラム

過ぎ行く夏に意識したこと

夏日、真夏日、猛暑日、そして熱帯夜。熱波に見舞われた夏の日がしばらく続いています。今年の夏を、さらに耐え難くしているのは、新型コロナウィルス感染症の感染拡大が、波のように繰り返して勢いを増す状況と重なっていることにも原因があることは確かです。

春以来、感染予防を意識して変えた生活習慣、マスク着用、三密の回避などもようやく慣れては来たものの、時にはそれを忘れた自分に気づき、あわてることもあります。手紙やはがきを家の近くのポストへ出しに行くときなど、ちょっとした外出で、家を出て道行く人々のマスクをした姿に接し、自宅へマスクを取りに戻る場合です。そんな時、買い物やバス・電車に乗る必要のある外出時には何時も必ずマスクを着用していますから、ちょっとした日常の無意識な振る舞いが、マスク着用の意識を失わせたに違いないと反省しています。

日常の振る舞いで、これまでとは違う状況に自分がいることを忘れる機会もあることに気づかされると、日ごろの生活で無意識に行動することが意外に多いことにも気づかされます。そんなとき、人間が生きて行く上で、意識は人間に一体何をもたらしているのか、そんなことまで考えさせられてしまいます。

私たちは朝起きて夜寝るまで、昼寝などで睡眠をとるとき以外は、何時でも自分を意識できると信じています。睡眠でも、夢を見ている時、眼を動かして自分を意識していますから、夢の中では意識が活動していることは確かです。いずれにしても、起きている時は何時でも必要なら、私たちは自分を意識することができるだけに、例え無意識な行動をしていても、必要なら何時でも自分を意識できるわけですから、日常の振る舞いで気づかされる無意識な体験もそれほど気にすることは無いと思われます。

今年の夏は、そんな意識と無意識に関して私たちが持っている態度の存在に改めて気が付く機会となりました。確かに熱中症の危険が増し、新型コロナウィルス感染症の感染拡大も重なった今年の夏は、私たちの日常生活の場が、これまでと違う状況であることを色々な情報が教えてくれました。それは、現在、多くの人々が意識的に生活習慣を変えて過ごしていることからも理解できます。こうした状況では、やはり時には無意識な体験を意識的な体験にすべき機会が増えてくるのも当然かもしれません。

熱中症や感染症の危険が潜む状況では、それを避ける意識を維持する重要性は明確です。
今年の夏は、非常時の環境で自覚する意識の役割を教えてくれたような気もいたします。

普段は季節の移り変わりをそれほど意識せずに過ごしている私ですが、夏の終わりになると何時も自然に意識する言葉があります。「九月になれば」と言う言葉です。毎年、秋の到来がもたらす色々な期待を想像できる季節になると意識してきたこの言葉、今年は何が期待できるのでしょうか、夏日の終息は確実ですが、それ以上にコロナウィルス感染症拡大の終息に至る時の流れが、この秋には是非とも始まって欲しいと願っています。



 


高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科 学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを 歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。 2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)