髙柳雄一館長のコラム

七夕に思うこと

2017.07.07 19:19:07
テーマ:館長コラム 

七夕が話題になる季節になりました。笹の飾りに付ける短冊の願いを子どもたちが話している声を耳にすると、子どもの頃に参加した七夕の催しを懐かしく思いだしました。日本では、いつの頃から七夕の行事が多くの人々の間で始まったのでしょうか?

7世紀後半から8世紀後半にかけてまとめられたと言われる『万葉集』の中にも、七夕の夜、夜半を過ぎて月が隠れ天の川の星々が際立ってきた、今宵こそ織姫星と彦星の出会いが叶う様にと述べた歌など、七夕の夜を意識した歌が何首も残されています。

天の世界で働く織女星と牽牛星とも言われる彦星が天帝の定めにより、一年に一夜、七夕の夜だけ会うことが出来ると言う七夕の伝説は古代中国で生まれました。キトラ古墳の天井に描かれた中国の星座の世界がその舞台だったと想像することができます。

中国の星座の世界では、現在の北極星が位置する付近に天を支配する天帝の住む宮殿が想像され、さらには天帝の政治を司るお役人が集う役所や、経済活動を行われた天の市場まで想像されていました。星座は星官とも呼ばれ、そこに人間の様な星々が存在していると人々は考えていたようです。その中に七夕の伝説で主役となる織女星や彦星が居たのです。

地上に住む人間が、天帝の定めとして一年を通じて七夕の夜にしか会えない織女星と彦星の運命に同情し、その出会いの実現を願った風習は、何時の間にか、願い事をする個人の願いにまで広がって来たのかもしれません。現在では七夕の笹飾りに付ける短冊には職女星と彦星の再会の願いよりは、個人的な願い事を書く方が一般的になっています。

先に述べた万葉集の歌からも分かるように、七夕は現在の太陽暦が使われる以前は、夜半には必ず月が地平線の下に沈む陰暦7日の夜を意味しました。しかし現在では新暦、旧暦など、色々な配慮に従って七夕の行事が実施されています。願い事の広がりだけでなく暦の上でも、『万葉集』の時代からの日本古来の風習にみられる、そんな歴史の変遷を夜空に想像するのも七夕の楽しみ方かもしません。

一般に日本の本格的夏は梅雨が明けると始まります。梅雨の始まりや終わりは年毎の気象状況の変化に応じて変わります。しかし、天体の運行に従って決められた暦の季節を示す日は地上の影響を受けません。6月の夏至は太陽の運行で毎年決まっています。その意味では陰暦7月7日の夜空も地上の季節とは関係なく決まります。これに対して梅雨が空ける日はその年の地上の気象情報によって決まり、年によっては大きく変わります。

毎年、6月の夏至が過ぎ、7月になって七夕が人々の間で話題になると、今年の梅雨は七夕の前か後かなど、夏の到来を前に予想することもあります。最も、この際、七夕の日を新暦の太陽暦で考えるか、陰暦で考えるかによって予想の立て方も一様ではありません。

七夕の話題と梅雨明けの到来、その後に始まる夏の夜空との出会いに期待が膨らむ季節です。楽しい夏休みには何をしようか、色々な予定を立ててワクワクしていらっしゃる方も多いと思います。皆様方にとって今年も素敵な夏となりますように、多摩六都科学館も夏の特別企画でお待ちしています。

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