髙柳雄一館長のコラム

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年を重ねてみる「星の王子さま」



謹賀新年。新しい年を迎えて年号の数が一つ増え、令和5年、西暦2023年になりました。お正月は、個人的に年を重ねる誕生日とは異なり、ともに生きている人間が全員一緒に年を重ねる貴重な機会かもしれません。そこで、お正月にふさわしい、今を生きる人間にとって、ともに年を重ねてみえてくる、そんな話題を一つとり上げてみたいと思います。

皆さんは「星の王子さま」というお話をご存じですか?この作品は、サン=テグジュペリというフランス人の作家が1942年にアメリカで書いた作品です。刊行されたのは翌年ですから、今からちょうど80年前の1943年になり、フランス語版「Le Petit prince」と英語版「The little Prince」がアメリカで同時に発売されました。その後、世界中でこれまで505もの言語に翻訳されてきた世界的にも大変有名な作品です。日本では70年前の1953年、最初の翻訳で「星の王子さま」として刊行され、今も多くの人々に愛読されている名作ですが、私も子供のころに初めて読んだことを覚えています。

簡単に紹介すると、砂漠に不時着した飛行士の「ぼく」が、突然現れた不思議な少年にヒツジの絵を描いてとせがまれ、やがて、ちいさな星からやってきたと分かる「星の王子さま」と友だちになります。「ぼく」とこの「星の王子さま」が交わす言葉は、「ぼく」がずっと忘れていたたくさんのことを思い出させてくれますが、最後に、「星の王子さま」との別れの場面が訪れ話はおしまいになります。

砂漠に不時着した「ぼく」が、ちいさな星からやってきた「星の王子さま」と出会い、そこで8日ほど一緒に過ごし、最後に「星の王子さま」が消えてゆくストーリーだけを知ると、何故、この作品が多くの国と地域の言語に訳されているのか不思議な気もします。しかし、作品を読んでみると、その魅力に気づき、熟読したくなる作品であることが判明します。砂漠での出会いから別れまで、「ぼく」が「星の王子さま」と交わした言葉には、人それぞれで感じる魅力は異なりますが、読む度に世界を観る上での貴重な指摘をいくつも発見できるからです。

作品の中でも特に有名な言葉は、「星の王子さま」が「ぼく」に出会う前に砂漠で出会ったキツネから教えられる「かんじんなことは、目ではみえないんだよ」です。この言葉は、自分の体験を振り返ったとき、生きてゆく上で世界をどう見るか、あるいはどう捉えるか、大人になる前に子どもたちが学ぶとても大切なことを気づかせてくれる言葉にも思えてきます。

私はこれまでに「星の王子さま」を覚えているだけで少なくとも3回以上は読んできました。読んだ時の正確な年齢は忘れましたが、まずは10代、それからNHK在職時に書いた文章で「かんじんなことは、目では見えない」とか「目では何も見えないよ。心でさがさないとね。」を「星の王子さま」からの引用として使ったことを思い出します。もちろん、多摩六都科学館の仕事についてからも、いろいろな時に「星の王子さま」から素敵な言葉を引用しています。「星の王子さま」刊行80年目の年を迎えて、今回は、この作品が誕生した当時の世界を想像しながら、「星の王子さま」を久しぶりに丁寧に読んでみることにしました。

「星の王子さま」をフランス人作家サン=テグジュペリがアメリカで書いたのは1942年。そして、翌1943年、フランス語版と英語版とがアメリカで同時に発売されています。当時、サン=テグジュペリはアメリカで活動していました。

フランス人のサン=テグジュペリがアメリカへ来た背景には、イギリスとフランスがドイツに宣戦して1939年9月3日に始まった第二次世界大戦の戦況が大きく関係しています。若いころから優れた飛行機のパイロットとして活躍してきたサン=テグジュペリは、フランスの対ドイツ宣戦にともない、フランス空軍の偵察部隊に配属され、偵察飛行を続けました。しかし、1940年6月25日にフランスがドイツに降伏した後にアメリカへ出国したのです。

1941年1月、アメリカに入国して活動を始めたサン=テグジュペリは、1942年にフランスでは刊行が禁止された「戦う操縦士」を英語版で刊行します。この年にアメリカの出版社に勧められて執筆した「星の王子さま」を1943年4月に刊行後、アメリカを去って連合軍の北アフリカ上陸作戦に参加しました。1944年5月、偵察飛行部隊へ復帰後、7月31日に彼の偵察飛行に出たまま消息を絶ち、これが彼の最後の仕事になりました。「星の王子さま」のようにこの世から消えたこの偉大な作家の終末でした。

「星の王子さま」がこの世に現れた時代を調べると、サンテグジュペリがフランスからアメリカへ向かっていた1940年には、日本軍による真珠湾攻撃後の12月8日にアメリカが太平洋戦争で日本に宣戦、同時にドイツ・イタリアにも宣戦して第二次世界大戦では連合軍に参加したことにも気づかされます。戦時下の80年前にアメリカで刊行された「星の王子さま」がフランスで出版されたのは1946年、で第二次世界大戦の終了後のことでした。

多くの国と地域の言語に訳された「星の王子さま」が、その後、世界中の読者を獲得してきた理由を時代背景まで含めて考えると、作品自体は、はじめに戦時下で苦しむフランスの友人に捧げられていますが、作品では執筆された当時の異常な戦時下を示す場面は一切描かれず、苦悩する大人の心の奥底に希望の灯をともす未来を生きる子どもの姿を愉快な語り口とやさしい挿絵で示すことで、時代を超え、言葉の壁も超えて人間に愛される作品になっています。この作品が戦時下で生まれたことに気づくと、第二次世界大戦の後、世界の広い地域で平和が永く保たれてきたことも無視できないように思えます。

最後に、今回の再読で発見した「星の王子さま」と出会った「ぼく」に当たる作者の砂漠への不時着体験について触れておきます。作品の中でも紹介されている「ぼく」の6年前のサハラ砂漠での不時着は、作品が執筆された1942年の6年前、サン=テグジュペリが実際に体験した同じ場所での飛行機事故による不時着が反映されていることは良く知られた事実です。詳細はサンテグジュペリの年譜を記載したWEBなどでも簡単に調べられます。

それによると1935年12月30日午前2時45分、サン=テグジュペリは一人の同僚と共にリビアの砂漠で墜落しています。パリからサイゴンへの飛行時間短縮レースに参加した際の事故でした。仲間と共に奇跡的に墜落を生き延びて、砂漠の猛暑の中、水を求めて徘徊し4日目に、ラクダに乗ったベドウインに発見されて救出されたことを彼自身が1939年の回想録に記しています。これからサハラ砂漠で彼らが救出されたのは年が明けた1936年となり、「星の王子さま」が執筆された1942年から6年前の事故であることも分かります。「ぼく」が「星の王子さま」と出会い別れた砂漠の夜空は、冬の夜空だったと言えるようです。

「星の王子さま」が何処からきてどこへ消えたか、そんなことを想像するとき「ぼく」と「星の王子さま」がどんな夜空の下で話を交わしたのかは、これまで私には気になる点でした。それだけに、このことは私に取って今回の再読で手に入れたとても貴重な情報となりました。

「星の王子さま」で示される有名な挿絵では、最初にアメリカで出版された英語版の表紙で見るように小惑星の地表に「星の王子さま」が立って、そこから星々の世界を眺めています。今回の発見で、「ぼく」と「星の王子さま」が砂漠で言葉を交わし、輝く星々を見上げた空は、冬の夜空だったと想像できます。今年の多摩六都科学館の年賀状では「うさぎ座」も控える冬の夜空を取り上げました。晴れた夜空で冬の星たちが描く世界を眺めて、今年は「星の王子さま」と出会った「ぼく」の心を皆さんも想像してみては如何でしょうか?


画像:wikipediaより引用

 


高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)