髙柳雄一館長のコラム

アジサイの季節に思う水の世界

我が家の玄関に面した庭先のアジサイも特徴ある白い花びらが目立ち始めました。宵闇が迫ると、このアジサイ特有の花弁の周りに点在する八重の白い花びらが強調されて、「墨田の花火」という名前を持つ花の姿を眺めて楽しんでいます。出勤時には、多摩六都科学館の館庭を裏に回るとき目にする「柏葉アジサイ」のユニークな花の姿にも、しばし足を止めることがあります。散歩先で目にするアジサイは、どの花も色と姿形が同じに見えることは滅多にありません。それだけに、正しい名前を知らない限り、他人には伝えられないアジサイの花見体験を重ねています。6月、アジサイの花を随所で楽しめる季節が始まりました。

アジサイの季節の始まりに気づくとき、日本に住む多くの人にとっては梅雨の始まりを意識する機会にもなっているのではないでしょうか? 前回のコラムでも触れましたが、日本では旧暦の時代から農業にとって重要な季節変化を太陽の運行に合わせて生み出された暦として二十四節気と雑節を設けた暦が使われてきました。今年の6月のカレンダーでは、節気である6月5日の芒種(ぼうしゅ)と6月21日の夏至(げし)の間に、雑節として6月10日の入梅(にゅうばい)が記されています。古代中国で誕生した二十四節気に対して日本の気候風土に合わせて設けられた雑節に、梅雨入りを示す入梅が含まれていることも頷けます。アジサイを楽しむ6月は暦の上でも梅雨を迎える季節になっています。

6月10日の入梅より先に訪れる6月5日の芒種ですが、この言葉は芒(のぎ)と呼ばれる稲・麦などの実の外殻にある針状突起を持つ穀類を植える時期を示しています。日本全国の広い地域で田植えが営まれるのは5月下旬から6月と言われています。節気の芒種は、田植えとも関係した表現なのかもしれません。旧暦6月は水無月(みなづき)と呼ばれていました。この言葉は現在の太陽暦6月でも使われていますが、手元にある国語辞典で調べてみると、水無月(みなづき)の「な」は本来「の」を意味し、田に引く「水の月」を意味していると書かれています。暦の上で六月は水と深い関係を持った月であることが分かります。

今年の暦の上での入梅は6月10日、日本では時の記念日にもあたります。時の記念日が制定された経緯をみると『日本書紀』にある天智天皇10年(671年)6月10日に日本で初めて時計(「漏刻」と呼ばれる水時計)による時の知らせが行われたとされる故事から定められたと言われています。漏刻は、水が階段状の構造を滴り落ちる速度にもとづく日本の水時計です。時の経過を水の流れを利用して計測した古代の人々の試みに敬意を表したくもなります。この故事が水の月でもある6月だったことに気づくと想像はさらに広がります。

時計の歴史をみると、人類の歴史で最初に登場した時計は太陽の影の移動を利用した日時計でした。この時計を使えるのは、晴れた日、昼間だけです。太陽の影が利用できない時間にも利用できる水時計の誕生は、時を共有して営まれる人間の社会活動の発展に大きく影響したと思われます。

最後に6月の節気として誰も知っている夏至についても触れてみます。日本では梅雨明けを待って、真夏が始まります。その意味で日本では、夏至の日を過ぎても夏の到来を感じることはありません。子供の頃、シェイクスピアの「夏の夜の夢」を読んだとき、夏の始まりを祝う夏至の夜の出来事に喜ぶ登場者たちの姿にも、それほど共感を持てなかったことを覚えています。梅雨明け前に夏至が訪れる日本での体験がその理由だったと思えます。

アジサイの季節、梅雨を迎える日本では、豊かな水の恩恵を受けた生活が営まれます。梅雨明けの真夏を前に、「水の月」ならではの体験を今年も重ねてみたいと願っています。




多摩六都科学館の敷地内に咲く柏葉アジサイ

芒種から入梅の時期に田植えが行われる日本の風景(左)と、喜劇「夏の夜の夢」(シェイクスピア作)を表した絵画(右)。実は原題が「A Midsummer Night’s Dream」。Midsummerとは夏至を指します。





高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)