髙柳雄一館長のコラム

2024年02月一覧

宇宙から見る地球の自画像に思うこと

「地球の自画像」と聞くと、どんな世界を想像しますか? 自画像と呼べる以上は全体が見える世界を想像しますから、惑星である地球を全体として眺められるだけ離れた場所から見た画像を心に描く方が多いと思います。そんな場所として簡単に思いつくのは宇宙です。

地球を宇宙から捉えた画像で、歴史的にも有名なものには、1972年12月7日」にアポロ17号の乗組員が、地球からおよそ2万9千キロメートルの距離から撮影した「ザ・ブルー・マーブル」があります。太陽を背に宇宙飛行士が撮影した、上部に地中海と下部に南極が位置し、アラビア半島やマダガスカル島も判別できる地球は、子どもが遊ぶガラスのビー玉のようにも見え、「青いビー玉」を意味する「ザ・ブルー・マーブル」と呼ばれる、宇宙から完全に輝く地球を捉えた数少ない写真の一つとなっています。



今回、取り上げるもう一つの地球の自画像は、1990年2月14日、アメリカ航空宇宙局(NASA)から、当初の太陽系外惑星の写真観測を完了していたボイジャー1号に、振り返って太陽系の惑星写真を撮影する指令がされ、1990年6月6日まで60枚の写真撮影を実施し、その際人類が手に入れた貴重な地球の自画像です。予定外の太陽系内惑星の撮影は、ボイジャー計画でも重要な役割を果たしたカール・セーガン博士の強い依頼によって実現しましたが、カメラを太陽に向けることは強い入射光による撮影機能破壊の可能性も高く、ボイジャー1号が太陽系内で位置した状況を見れば、ボイジャーの計画者たちが地球にカメラを向けた際、抱いた危惧も想像できます。



Position of Voyager 1 on February 14, 1990. The vertical bars are spaced one year apart and indicate the probe’s distance above the ecliptic.

その地球の自画像は、約60億キロメートルのかなたからボイジャー1号のカメラで撮影されました。ご覧のように、撮影された地球の自画像は帯状の広がりの中で微かに目立つ青い点としか見ることができません。英語表現で「Pale Blue Dot」と呼ばれ、日本語のウィキペディアでは「ペイル・ブルー・ドット」と表示されています。「この写真に見る地球はあまりにも小さく、科学の役には立たないが、我々の地球は宇宙の中にあるのだという視点を提供するには有益である」、「人類の歴史は、この小さな青い点で起こっている」と指摘したカール・セーガン博士の言葉を忘れることはできません。



Seen from about 6 billion kilometers (3.7 billion miles), Earth appears as a tiny dot within deep space: the blueish-white speck almost halfway up the rightmost band of light.

太陽を背にした「ザ・ブルー・マーブル」と太陽を前に淡く輝く「ペイル・ブルー・ドット」、地球の自画像では、どちらにもブルーが含まれています。宇宙に存在する生命の惑星・地球には、ブルーがふさわしい色なのでしょうか?いずれにしても、そこには向きはともかく、直ぐ近くに太陽が存在していることは無視できません。宇宙から見ると、地球に住む私たち生物の運命は、太陽の活動とも深く関係していることに気づかされます。

地球に住む生物の運命と書きましたが、人類にとって、それは現代文明の未来を意味しています。最近、2024年度の世界終末時計が昨年度と変わらず90秒前と公表されたことを新聞で知りました。世界終末時計とは、核戦争などによる人類の絶滅を「午前0時」になぞらえ、絶滅して終末するまでの残り時間を「0時まであと何分(秒)」という形で象徴的に示すアメリカ合衆国の雑誌『原子力科学者会報(Bulletin of the Atomic Scientists)』の表紙絵として使われている時計です。実際の時計ではなく、一般的に45分から正時までの時計の部分を切り出した絵で示され、簡単に終末時計とも呼ばれています。

終末時計は第二次大戦中、原爆開発計画などにも関わった科学者たちが、核エネルギーを持つ戦後世界において、科学者が積極的に社会的責任を持つ必要性を認識し、核エネルギー管理や軍拡競争の阻止、平和の維持の方法を議論した結果、核戦争という文明の危機と向かい合っていた危機感を分かりやすく社会へ伝える手段として誕生しました。

今年の終末時計は昨年と変わらず90秒前と公表されましたが、宇宙から見る地球の自画像と、終末時計はどんな関係を持っているのでしょうか? 終末時計が誕生したのは日本への原子爆弾投下から2年後、冷戦時代初期の1947で、終末時計開始時は7分前に設定されていました。これ以後の終末時計の記録は全て保存されています。

ここでは「ザ・ブルー・マーブル」が撮影された1972年の終末時計が12分前、ボイジャー1号、2号が太陽系外惑星探査を主目標として地球から打ち上げられた1977年の終末時計が9分前、「ペイル・ブルー・ドット」が撮影された1990年の終末時計が10分前とだけ記しておきます。興味深いのは、ボイジャー計画を推進した科学者たちには核戦争による地球文明の崩壊を危惧した人々も多く、ボイジャー探査機には当時の地球文明の内容を宇宙に保存するゴールデンレコードが搭載されていたことです。以前のコラムでも触れましたが、ボイジャー計画の推進では、当時の終末時計の値も関係していたことは重要です。


Earth – Pale Blue Dot – 6 Billion km away – Voyager-1 – original February 14, 1990; updated February 12, 20200212

最後に、1990年、約90億キロ彼方からボイジャー1号が撮影した地球の自画像を30年後の2020年にNASAが最新の画像処理技術を活かして公開した「ペイル・ブルー・ドット」の最新版画像をお見せしましょう。以前よりも青みが意識できる地球の自画像を眺めながら、地球に住む私たちが、終末時計の残り時間が90秒になったと言われる現在、これから終末時計をどう意識して、地球文明を維持して行くのか、宇宙から見る地球の自画像がそうした地球文明の持続目標を策定して実施する上でどう役だつのか、これまでも地球の未来をみる多様な視点を与えてくれた現代科学の役割に思いをはせながら終わることにいたします。

 


高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)