髙柳雄一館長のコラム

ハッブル、ケプラー、ガリレオ、・・探査機・衛星の名前にみる宇宙開発

2017.08.02 18:27:55
テーマ:館長コラム 

梅雨が明け、子どもたちにとって長い夏休みが始まりました。大人にとっても、夏はお盆休みなどがあり、比較的長い休暇も取りやすい季節と言えます。それを利用して、日頃はなかなか行けない場所への旅の計画などを既に立てていらっしゃる方も多いと思います。

晴天が続く夏の夜空は、織女星と彦星に、その出会いを遮る天の川に羽を広げた「はくちょう座」の尾を描く一等星デネブも参加して、星空に大三角形を生み出し、地上の人々の目を宇宙へと一層広げてくれます。夏は、私たちの心の目を足元から遠い世界へと誘う季節と言えるかもしれません。

七夕の世界は古代の人々が夜空にも地上の様な世界があると信じ、人間の名前を付けた星々を想像して人間の望みを星の世界に託したお話でした。それは今も変わらないようです。星ではありませんが、人間の名前を付けた人工天体が幾つも星空を飛び交っていることがそれを物語っています。

人類の歴史をみると、人間は宇宙を知ることで科学を発展させ、現代の科学技術を生み出してきたと言われています。 その結果、星空に対する人間の願いは、さらに科学技術の成果を駆使して打ち上げられた探査機や衛星の活用に具体的に示されています。

ハッブル宇宙望遠鏡、ケプラー宇宙望遠鏡、木星探査機ガリレオなど、有名な科学者の名前を付けた探査機がいくつも宇宙を航行し成果を上げてきました。探査機や衛星に宇宙科学に貢献した科学者が多いのは頷けますが、ハレー彗星の探査で活躍した探査機ジョットなど、アーティストの名前がついた探査機もありますし、マルコ・ポーロと名付けられた通信衛星もありました。

インドの地球観測衛星にはインドで有名な数学者バースカラの名前が付けられています。同じ意味で印象的だったのは悟空と言う名前が付けられた中国の暗黒物質探査衛星があったことです。ここまでお話すると日本人の名前を付けた衛星はあるのか、気になりますが、宇宙での技術開発に日本が打ち上げた衛星には空海とか源内と名付けられた実験衛星もありました。

今年6月、中国が「墨子」と名前をつけた科学技術衛星を利用し量子通信の実証実験に世界で初めて成功したということが報告されました。このニュースに触れた時、それを確かめるつもりで、WEBで調べて分かったことがあります。興味深いことに、日本でも同じタイプの量子通信の実証実験がなされ、それについては7月に報告がなされました。量子通信実験の内容についてお調べいただくことにして、面白かったのは、この実験で日本が使ったのは超小型衛星の名前がソクラテスだったことです。墨子についても、ソクラテスについても、何故、この人々の名前がこれらの衛星に付けられたのか私には未だによくわかりません。

今回は、星空を飛び交う探査機や衛星に付けられた人間の名前で現代の宇宙開発を一端を眺めてみました。晴れた日に夜空を眺めて、星空に願いを馳せる人間の営みが七夕の時代から今も継いていると気づくのも、夏の夜空を楽しむ一つの方法かもしれません。

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髙柳館長高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科 学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを 歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。 2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)



七夕に思うこと

2017.07.07 19:19:16
テーマ:館長コラム 

七夕が話題になる季節になりました。笹の飾りに付ける短冊の願いを子どもたちが話している声を耳にすると、子どもの頃に参加した七夕の催しを懐かしく思いだしました。日本では、いつの頃から七夕の行事が多くの人々の間で始まったのでしょうか?

7世紀後半から8世紀後半にかけてまとめられたと言われる『万葉集』の中にも、七夕の夜、夜半を過ぎて月が隠れ天の川の星々が際立ってきた、今宵こそ織姫星と彦星の出会いが叶う様にと述べた歌など、七夕の夜を意識した歌が何首も残されています。

天の世界で働く織女星と牽牛星とも言われる彦星が天帝の定めにより、一年に一夜、七夕の夜だけ会うことが出来ると言う七夕の伝説は古代中国で生まれました。キトラ古墳の天井に描かれた中国の星座の世界がその舞台だったと想像することができます。

中国の星座の世界では、現在の北極星が位置する付近に天を支配する天帝の住む宮殿が想像され、さらには天帝の政治を司るお役人が集う役所や、経済活動を行われた天の市場まで想像されていました。星座は星官とも呼ばれ、そこに人間の様な星々が存在していると人々は考えていたようです。その中に七夕の伝説で主役となる織女星や彦星が居たのです。

地上に住む人間が、天帝の定めとして一年を通じて七夕の夜にしか会えない織女星と彦星の運命に同情し、その出会いの実現を願った風習は、何時の間にか、願い事をする個人の願いにまで広がって来たのかもしれません。現在では七夕の笹飾りに付ける短冊には職女星と彦星の再会の願いよりは、個人的な願い事を書く方が一般的になっています。

先に述べた万葉集の歌からも分かるように、七夕は現在の太陽暦が使われる以前は、夜半には必ず月が地平線の下に沈む陰暦7日の夜を意味しました。しかし現在では新暦、旧暦など、色々な配慮に従って七夕の行事が実施されています。願い事の広がりだけでなく暦の上でも、『万葉集』の時代からの日本古来の風習にみられる、そんな歴史の変遷を夜空に想像するのも七夕の楽しみ方かもしません。

一般に日本の本格的夏は梅雨が明けると始まります。梅雨の始まりや終わりは年毎の気象状況の変化に応じて変わります。しかし、天体の運行に従って決められた暦の季節を示す日は地上の影響を受けません。6月の夏至は太陽の運行で毎年決まっています。その意味では陰暦7月7日の夜空も地上の季節とは関係なく決まります。これに対して梅雨が空ける日はその年の地上の気象情報によって決まり、年によっては大きく変わります。

毎年、6月の夏至が過ぎ、7月になって七夕が人々の間で話題になると、今年の梅雨は七夕の前か後かなど、夏の到来を前に予想することもあります。最も、この際、七夕の日を新暦の太陽暦で考えるか、陰暦で考えるかによって予想の立て方も一様ではありません。

七夕の話題と梅雨明けの到来、その後に始まる夏の夜空との出会いに期待が膨らむ季節です。楽しい夏休みには何をしようか、色々な予定を立ててワクワクしていらっしゃる方も多いと思います。皆様方にとって今年も素敵な夏となりますように、多摩六都科学館も夏の特別企画でお待ちしています。

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