髙柳雄一館長のコラム

棚機(たなばた)から七夕(たなばた)へ?

先日、我が家の近くにあるスーパーマケットへ行ったとき、入り口ホールに七夕の笹飾りが置かれていることに気づきました。高さが2メートル以上に達する竹の幹から四方へ伸びた小枝に広がる笹の葉には色とりどりの短冊が付けられていました。子どもの頃、七夕の笹の葉に付ける短冊に願い事を書いたことを思い出し、近くへ寄って短冊を手許へ引き寄せて書かれた文字を眺めてみました。「家族がいつまでも健康でいてほしい!」とか「おばちゃんの腰痛が早く治りますように!」と書かれていました。現代の七夕の願い事には、子どもたちが持っている家族への思いやりが、大きく占めていることに気づかされました。

七夕は、表示された文字からも分かるように、暦の上では7月7日の夜を意味します。もともとは中国で誕生した七夕の行事が、日本で何時からはじまったかは知りませんが、奈良時代の終わりごろに存在した『万葉集』と呼ばれる短歌などを集めた書物には、七夕を取上げた歌が百首以上も登場していることを知りました。それによると、七夕の日の夜、川辺に棚を敷いて機(はた)を織る乙女が、神聖な守護神のために衣を織って祈りを捧げている様子や、夜半を過ぎて夜空に目立つ天の川を彦星が船を使って対岸で待っている職女星の処へ無事たどり着いてほしいと言う願いが、巧みに歌われています。

ここで川辺に棚を敷いて機を織る乙女のお話を書きましたが、機を折る乙女のことを「棚機(たなばた)つ女(め)」と呼んでいます。これは、七夕の行事が中国から伝わる以前から、日本古来の風習にあったと言われていて、『万葉集』の七夕を読んだ歌の中では、織女星を「棚機つ女」とも読んでいます。中国からの七夕の風習が日本で昔からあった「棚機つ女」の風習とも結びついて万葉集の時代の人びとに受け入れられたのかもしれません。

七夕の笹飾りに短冊を付けて願い事をする風習ですが、これもその起源は中国にあるようです。中国の七夕には乞巧奠(きこうでん)と呼ばれる儀式がありました。それによると、七夕の夜、婦人たち七本の針の穴に彩の美しい糸を通して、捧げ者を庭に置き、針仕事の上達を祈願したと言われています。

WEBで調べてみると、乞巧(きこう)とは牽牛・織女の2星に裁縫技芸の上達を祈り,奠(でん)は物を供えて祭る意味を示しています。中国の唐の時代には飾りたてた櫓(やぐら)を庭に立て、それを乞巧楼といったそうです。この星祭が日本に伝わり,最初の乞巧奠は、755年宮中の清涼殿の庭で行われたと記されていました。こうした風習がやがて民間にも広がり、七夕の笹飾りに願い事を書いて付ける風習にまで発展したと思われます。

七夕のお話、暦の上での七月七日と言ってきましたが、最後に、この暦について、まとめておきます。現在、私たちが日常生活で使っている暦は新暦と呼ばれています。これに対して、昔から人びとが実施してきた七夕は旧暦と呼ばれる暦の中での7月7日です。旧暦では日にちの数が月の満ち欠けときちんと対応していますから、旧暦の7日に夜空に出る月は上弦の月と呼ばれる半月が夜空にでる日の前日ぐらいに当たっています。このため七夕の夜の月は夜半を過ぎると西の地平に隠れてしまいます。七夕の夜、夜半を過ぎると月も地平に沈み、晴れていれば天の川が夜空に目だってきて、彦星と職女星の出会いも地上から確かめやすくなる、そんな夜空が期待できたのです。

現代の七夕の行事は、新暦の7月7日、旧暦の7月7日に近い新暦の8月7日、旧暦の7月7日にあたる日など、それぞれに意味のある日に実施されています。ここで、新暦の8月7日と旧暦の7月7日と書きましたが、一般にはこの二つの日は一致していません。ところが、今年は嬉しいことに新暦の8月7日が旧暦の7月7日に一致しています。昔の人が七夕の夜に眺めた星空を、今年は8月7日に、私たちは見ることになります。

今年の7月7日、関東地方は雨模様の夜空でした。七夕を待ち望んで、笹飾りの短冊に、いくつもの願い事を書いていた方々には残念な七夕になりました。でも、まだ願い事を夜空に届けるチャンスがあります。是非とも、8月7日の旧暦の七夕の夜には晴れた星空を迎えたいものですね。

令和元年の旧暦7月7日に当たる8月7日、皆さん全員が晴れた星空を眺められる様にと願いながら、今回のコラムを終ることにします。


(夏の星空で彦星と織姫星を探してみてください)





高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科 学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを 歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。 2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)

「アジサイ」にみる「墨田の花火」

北半球で下旬には夏至を迎える6月、日本では北海道を除いて梅雨の季節に入る月です。

6月は、真夏の前に梅雨と呼ばれる雨季の季節を必ず迎える日本独特の風土を意識してそれを楽しむ季節かもしれません。月はじめには、雨の季節の到来を待ちかねたように、戸外のあちこちで「アジサイ」の花が目につきはじめました。よく見ると「アジサイ」の花は色と言い、花びらの集まり方などが大きく異なる様々な姿をしていることに気づかされます。

 

先日、ご近所の方から頂いた「アジサイ」は、葉の形が柏に似ていることから「カシワバアジサイ」と呼ばれる、花びらが円錐状に群がった形状をした「アジサイ」でした。初めて目にした「アジサイ」でしたので、他の人にもお見せしたく玄関の花瓶にしばらく生けて、来客の方がそれに気づくと話題にして会話を楽しみました。

 

我が家の庭には、花びらの形と広がり方の特徴から「墨田の花火」と名付けられた「アジサイ」が咲き始めています。これまで、花びらと言ってきましたが、「アジサイ」の場合、本来の花は小さな粒状で中心に集まっていて、周りに広がる花びらの部分は、中心の花を支えるガクに当たっています。本来の小さな花を周りで飾るこのガクを装飾花と言っています。ですから「墨田の花火」は「ガクアジサイ」と呼ばれる仲間なのです。



私が初めて「墨田の花火」に出会ったのは、やはりご近所の方から生け花用に頂いた3年前の6月でした。夜空に大玉の花火が光の花を咲かせた姿を連想させる、この「アジサイ」の装飾花が散らばった配置は、「アジサイ」の名前を聞いたときに、素敵な名前と姿がぴったり一致してとても印象深く感じました。早速、我が家の庭に移植し今に至っています。

 

「墨田の花火」と言う表現ですが、この「アジサイ」を見て花の開き方が夜空の花火に似ている事は容易に気がつくと思います。この表現で素晴らしいのは花火に掛かる「墨田の」と言う形容詞だと思います。私自身は残念ながら、これまで隅田川で開催される花火大会に行ったことはありません。しかし、テレビなどでその様子は何度も目にしています。そして、花火そのものは、色々な機会に素晴らしい場面を何度も見たことがあります。それだけに「墨田の花火」と聞くと、「アジサイ」を見てその光景まで想像できる気もいたします。



夏の季語である「アジサイ」に夏の夜空の行事を代表する墨田川の花火大会はぴったり合っています。季節的には真夏の前の梅雨の「アジサイ」を見る頃は、隅田川の花火大会はまだ想像だけの存在です。この時間のずれの効果も、私には「アジサイ」に、やがてくる夏の隅田川の花火を期待してみることもできる「墨田の花火」が「アジサイ」を見る人にさらなる楽しみを与ええてくれるような気もしています。

始めにも触れましたが多様な花を見せる「アジサイ」には、印象的な名前を付けられた「アジサイ」がいくつもあります。興味をお持ちの方は調べてみてください。そんな名前には「夏の雪」、「モナリザ」、「紫式部」など花の色を強調したユニークな名前も登場しています。

そんな中で「墨田の花火」は花の名前に夏の風物誌からとったユニークさが目立ちます。皆さんも、6月は、色々な「アジサイ」をみて、花の姿に潜む想像の世界を重ねて楽しむ機会として頂きたいと思います。





高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科 学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを 歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。 2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)