髙柳雄一館長のコラム

『ルバイヤート』に再会した夏

数学者で天文学者、また詩人として、ペルシャで11~12世紀に活躍したオマル・ハイヤームが残した詩集『ルバイヤート』に始めて出会ったのは学生の頃でした。赤帯の岩波文庫『ルバイヤート』(小川亮作訳)を丁寧に読み、気に入った詩を何度も口ずさんだことを思いだします。いずれの詩も、人間にとって、避けられない人生の苦悩を宇宙の定めとして嘆きと諦めを交えて表現していたことが印象的でした。

『ルバイヤート』に収められた4行詩は、日本語に訳されたものも、ある種の韻を踏んでいて、ペルシャ語で耳にすると、おそらく格調ある表現になっているのだろうと想像し、そんな体験を願ったことまで覚えています。そして、幸運にもそれは実現したのです。

 

1973年夏、私はNHKのTV番組ディレクターとして、海外取材番組『太陽と人間』シリーズの取材でイランに一週間ほど滞在しました。この年はコペルニクスの生誕500年にあたり、彼が活躍したポーランドでは国際的な記念行事が営まれました。またアフリカでは5分ほども続く皆既日食が見られることで、この年に合わせて、太陽に関係する人間の営みを取上げたシリーズ番組の企画を私が提案し、それが認められた結果でした。

イランでの取材は乾燥した大地に植物の生育環境を拡大し、太陽の恵みを取り入れ農業を進めて来たイランの人々の努力を歴史的に描くためでした。このため古代ペルシャ帝国の都であるペルセポリスや、イスラム寺院の壮麗なモスクで有名なイスファハーンなども撮影取材を重ねました。その時、こちらの英語での依頼や問いかけをイラン語に通訳してもらい、イラン語の返答を英語で伝えてくれるガイド役のイラン人が同行しました。

ある日、取材が終って、次の日の予定をイラン人ガイドと確認した後のことです。私は何気なくオマル・ハイヤームの『ルバイヤート』について、大変興味をもっていたことを彼に話す機会がありました。その時、イラン人ガイドの対応は思ってもいないものでした。

ガイド役のイラン人は『ルバイヤート』を良く知っていただけではなく、オマル・ハイヤームの詩を幾つも記憶していました。私が頼むと、目の前で朗々と響く声で、韻を踏んだ詩をいくつも聞かせてくれました。それは日本人が万葉集などで覚えている短歌を時に応じて口に出す姿にも似ていて、現代のイランの人々にとって、『ルバイヤート』が多くの国民に良く知られた古典の一つになっていることを気づかせてくれました。

その際、私がこのイラン人から教わったことで印象に残ったことは、イランの人々にとって、今も愛されている有名な歴史上の詩人はオマル・ハイヤーム以外にも何人もいて、その中では13世紀に活躍したサアディーが世界的に知られている詩人だと言うことでした。親切にも、その際、サアディーの詩も彼が口ずさんでくれたことを思いだします。

 

今年、9月1日から一週間、京都で国際博物館会議(ICOM)が開かれました。閉会後、地域の発展と関わる博物館のあり方をテーマにした分科会が主催して、地域の博物館施設をいくつか訪ねて話し合うグループの一つが、9月8日(日)の午前中、多摩六都科学館にきました。



私は昼食で、イランで科学館や博物館事業に携わっている4人のイラン人とテーブルを共にする機会を持ちました。その際、海外取材で私がイランへ行ったこと、ガイド役をしたイラン人からペルシャの偉大な二人の詩人の詩を耳にしたことを懐かしく思い出しながら、彼らとの会話を楽しむことができました。そして、今回もまた、オマル・ハイヤームやサアディーの詩が、イランの人々に大変親しまれていることを知る機会となりました。

私のイランでの体験を聞きながら、イランで科学館の館長をしている一人のイラン人が、私がイランで耳にした偉大なペルシャ詩人の詩を、直ぐに文字にして書き記し、読み聞かせてくれました。46年振りに耳で聞き、今回は目でも見たペルシャの二大詩人の詩をご覧ください。右から読んでいくペルシャ文字の流れるような表現は、耳で聞く韻を踏んだ詩を視覚でも辿ることができる様な気がします。



お見せするのは上が『ルバイヤート』に収められていたオマル・ハイヤームの詩、下がサアディーの詩です。このサアディーの詩は国連本会議場に続く廊下に掲げられている人類に対する詩人からのメッセージだと、書きながら彼は話してくれました。46年振りに『ルバイヤート』に再会した夏の思い出を書いてきましたが、最後に、このサアディーの詩の日本語訳を紹介して終わりにいたします。



アダムの子らは互いに手足たり、一つの要素より創られたれば。

ひとたび一本の手足痛むとき、他の手、他の足、また安からず。

汝また他人の苦痛を悲しむことなくば、人と呼ばるる価値なかるべし。

(岩波文庫『ゴレスターン』:沢 英三訳)

 





高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科 学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを 歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。 2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)

令和元年、夏の思い出から

9月になりました。カレンダーでは秋を意識させる画像が使われ、夏から秋へと変わる季節に生活していることも気づかせてくれます。子どもの頃から、夏休みも終り、新学期が始まる9月は、何か新しいことが起こると期待を持って迎えていたことを思い出します。そんな期待を、学校の行事とは今では関係の無い自分が感じることに不思議な気がしています。

秋の深まりが期待できる9月、今年の猛暑の夏を振り返ると、関東地方では日照りの日々が続き、朝夕、頻繁に我が家の庭で散水を忘れないよう配慮したことを思い出します。雨に降られることがほとんど無い真夏日と熱帯夜の連続で、庭の植物たちの葉が枯れ始めているのを目にして以来、小さな庭とは言え、朝夕の水遣りは私の夏の日課となりました。

日照り続きで、大切な葉がしおれて枯れ始めたことに最初に気づいた植物は、プランターで栽培しているバジルでした。時々、我が家の食卓にも登場する貴重な食材であるバジルの葉っぱを助けるには朝夕の水遣りが必要と、私にとって不慣れな夏の日課をはじめました。それだけに、朝夕の日課がもたらす水の恵みを受ける庭の植物の中で、バジルには特に意識して丁寧に根元へ水を注いできたことを思いだします。

我が家の庭で私が注いだ水の恵みを受けたのは、もちろん、バジルだけではありません。バジルは玄関先の前庭にありますが、玄関先には小さな花壇もあり、植物の生育している場所には、できるだけ満遍なく水が届くように散水ホースを延ばして水を撒きました。この他に、私がもたらす水の恵みを受けたのは裏庭にある柚子の木やワビスケの木、低木のアジサイたちの根元に生えた草花でした。

夏の庭での水撒きで、一番印象に残った出来事は、裏庭の草むらで、夕闇が迫る時間に、偶然出会った一匹のヒキガエルです。水撒きの最中に草むらかに動く姿を見て、我が家の庭にヒキガエルが住んでいたことを知り、大変喜んだことを思い出します。大きさは私の手の拳骨ほどあり、夕闇の中で草葉の影では目だたない墨色に見えました。以来、今年の夏、我が家の庭の動植物にとって、私は恵みの水をもたらす神様のような存在だったのかもしれないと、勝手に想像して楽しんでいます。

我が家の庭に住むヒキガエルにはその後も一度、水撒きの最中に出会いました。柚子の木の実もようやく目立つ大きさになり、今年の秋の収穫にも期待を寄せています。我が家の庭に住む生きを物たちにも、猛暑の夏を生き延びて秋の到来を楽しむ姿を見ることができれば良いなあ、と期待しています。皆様方も、素敵な9月に出会われるようにと願っています。

 


9月になって、3度目に出会ったヒキガエル





高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科 学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを 歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。 2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)