髙柳雄一館長のコラム

新しき年の初めに知る「共に生きる世界」

「Happy New Year」「謹賀新年」「あけましておめでとうございます」。

元旦を迎え、初めて出会う家族や親族、そして、友人・知人、三が日を過ぎると、さらには職場や教室の仲間まで、新しく始まった年を共に過ごす人々に出会って、互いに喜びを交わす年賀の言葉はいくつもあります。皆さんは、これまで、どれを好んで多く使いましたか?

いずれにしても、毎年、新年を迎えると、どれも同様に使えることにも気づかされます。

一年は地球が太陽を回る地球の時間で決められ、それに基づいた太陽暦が世界で共通に使用されていることは、元旦から始まる新年の年賀を祝う営みは地球人が歴史の中で作り上げてきた世界遺産とも言える固有の文化にも思えます。

過去から未来へ絶え間なく流れる時間の中で生きている私たち人間は、普段、多くの場合、時の経過を忘れて生活しています。一年という“時”の経過でも、季節の移り変わりを示す春分の日や秋分の日、国民の祝日などでは社会的な時の経過を感じることができますが、時の経過の節目を意識し、そこで生きている喜びまで感じるのは個人的な誕生日ぐらいです。それだけに、暦を共有する全員で新たな年を迎え、共に生きる喜びを意識して、それを祝う元日は、共に生きる社会を形成する人間にとっては全員の誕生日とも言えることに気づかされます。

地球に暮らす人類に固有な年賀の営みが、古代日本ではどのように展開していたかを物語る有名な短歌があります。万葉集の最後に収められた大伴家持の短歌です。

 

新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事(よごと)


大伴家持(狩野探幽『三十六歌仙額』)Wikipediaより

 

この歌で、「いや」は「ますます」、「しけ」は「絶え間なく」、「吉事」は「良いこと」を示しています。当時、現代の鳥取県にあたる地域を治めていた大伴家持が、天平宝字三年(759年)に催した新年の宴で部下たちに披露した短歌です。大伴家持が新年を迎えて降った雪を見て、この雪のように良いことが積もれと願ったことが鮮明に分かります。

年賀の営みには、新しい時の節目に生きている喜びと同時に、仲間と共に生きてゆく新しい年が良い年となりますようにという願いもあつたことが良く分かります。勿論、この願いは、新年を迎えた現代の私たちにとっても同じであることは言うまでもありません。

新しい年を共に生きる仲間と、生きている喜びと同時に幸せが続くことへの願いを共にする年賀は、同じ暦を意識することも大切です。新年を祝う際、日本では年賀状のやり取りも大切な営みでした。年賀状では言葉以外にも、新しい年にあたる暦で登場する十二支(じゅうにし)の動物の絵や文字が描かれていることを皆さんもご存じでしょう。

今年の干支(えと)で登場する動物を示す漢字は午(うま)です。この午に関して、興味深い話があります。鎌倉時代中期に日本や中国で知られた教訓となる説話を編集した『十訓抄』という書物にも取り上げられた「孔子の日よみの午説話」というお話です。簡単にまとめますと、「孔子さまが弟子を連れて歩いていた時、ある場所で、垣から馬が頭をさしだしていたのを見つけて、「牛だ」と言いました。弟子たちは馬をなぜ牛といったか意味がわからず歩き続けました。やや経って、一番弟子の顔回だけが見つけた答えは、『日よみの「午」の頭を出すは、「牛」なり。』だという話です。

「日よみ」と言う言葉は、暦、十二支の異称であり、日を数える際、二日(ふつか)五日(いつか)・・と、「か」が使われたので、「日よみ」は「かよみ」となり、最後に「こよみ」へと変わったとも言われています。

『十訓抄』での孔子の謎かけは、馬には午もあることを弟子たちが意識できるかテストしたのかもしれません。干支の動物は現代の私たちにとって馴染みのない漢字が使われています。しかし鎌倉時代には、年の移り変わりを示す十二支の漢字を知っていることも大切だったのかもしれません。孔子の説話は思慮深くあることの教訓として引用されています。

年賀の歴史を振り返ると、新しき年の初めに、共に生きる仲間と交わす年賀は、地球に住む私たちが、新たに重ねる年は共に生きる仲間と共通にあることを確認し、それを意識できる新年の存在を喜び、新しい年に幸せが多いことを、仲間と共に願う人類が生み出してきた素敵な機会でもあることに気づかされます。

午年の令和八年、垣から頭を出した午を牛とは言えないまでも、垣を飛躍して天翔ける午にもあやかって素敵な年を過ごしたいと願って年頭のコラムを終わりにします。

 


髙柳雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。
1964年、東京大学理学部物理学科卒業。
1966年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科学系教育番組のディレクターを務める。
1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを歴任し1994年からNHK解説委員。高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)。