髙柳雄一館長のコラム

「したのやムラ」の星空で見た南十字星

2017.10.22 10:58:11
テーマ:館長コラム 

科学は、人間が出会った数々の不思議を色々な形でこれまで解き明かしてきました。多摩六都科学館には、そんな科学が解き明かした不思議な世界へと皆さんをご案内する場所がいくつもあります。プラネタリウムはそんな場所の一つだと言えるでしょうね。

多摩六都科学館のサイエンスエッグにあるプラネタリウムでは、生解説プログラムとして、『5000年前にタイムスリップ!~縄文人が見た「したのやムラ」の星空~』を公開し、プラネタリムの機能を使って5000年前の世界へ皆さんをご案内しています。

名称未設定-2訪れる世界は西東京市東伏見(ひがしふしみ)にある「下野谷遺跡」にあった「したのやムラ」です。ここには、日本の歴史で縄文時代に当たる今から5000年前に、多くの人々が集まって住んでいました。プログラムでは、当時の人々が住んでいた住居やその周辺での活動を示す最新の考古学研究から判明した情報に基づき「したのやムラ」の景観や人々の生活風景も再現してお見せします。
もちろん、プラネタリウムの番組ですから、再現された地上の景色よりも、そこで見られた夜空の星々の再現が、プログラムでは主要場面になっています。そこでは、縄文人が見た星空が、現在の私たちが見る夜空とは何処が違うのか、そんな疑問や興味が募ります。

今回は、そんな期待を持って眺めた「したのやムラ」の夜空で、私が見た南十字星の思い出をまとめてみました。

現在では、日本の南端に位置する限られた場所でしか見えない南十字星が、何故、5000年前には「したのやムラ」の星空に登場するのか?不思議に思われた方も多いでしょう。プログラムの中の夜空で、南十字星がどの様に登場するのか、何故そうなったのか、それはプログラムを実際に見ていただくことにして、ここでは私の思い出だけをお話します。

実際の夜空で、私がはじめて南十字星を見たのは、1973年6月、アフリカへ皆既日食の取材に出かけた時でした。南十字星は星が十字の形に配置されていて、「みなみじゅうじ座」と言う星座を形成していることはよく知っていましたから、南十字星が見える方向でそれを探したことはよく覚えています。何故、よく覚えているか、一つの理由は、そうして探した結果、見つけた南十字星が、実は本物の南十字星の近くにある「ニセ十字星」で、それを南十字星と信じてしまった苦い思い出があるからです。

「みなみじゅうじ座」は全天を覆う88星座の中では最小の星座です。この小さい星座の世界で南十字を占める星の明るさはそれほどには揃ってはいません。近くで十字の位置を占める目立った星を探すと「ニセ十字星」を南十字星とよく見誤ることがあると星座の本でも解説されています。その時は、皆既日食取材の同行者の中に、星に詳しい人がいて、私はすぐに間違いを指摘してもらいました。そんな失敗の体験はいつまで経っても忘れられないものです。今回も、「したのやムラ」の星空で南十字星を見てそれを思い出しました。

その後、オーストラリアの取材では、実際の夜空で南十字星を幾度となく眺めました。その際に南十字星を間違いなく見つけるには「ケンタウルス座」の明るい二つの星であるα星とβ星をまず見つけて、二つの星の結んだ線を西に伸ばすと、すぐそこに発見できることを知りました。実際、この二つの星は南の方角を示す南十字星を夜空で探すのに昔から人々が利用してきたことも知りました。
南十字星は古代ギリシャの人々が描いた「ケンタウルス座」の星座に含まれる星として、古代の有名な天文学者プトレマイオスの本にも記録されていました。「したのやムラ」の星空と同じように、古代ギリシャが位置した場所でも昔は南十字星が見えていたのです。縄文人と古代ギリシャの人々が同じ南十字星を眺めていたと想像するのも楽しいですね。

私は、これまでテレビ番組で宇宙をテーマにした番組を幾つも担当制作しました。その中で、テレビカメラによる夜空の星の実写を何回と無く試みました。現在では星空を人間の目より感度良くカラーで撮影するカメラが存在しますが、それが完成したのは、南アメリカのチリにある天文台で南十字星も位置する夜空の星を私たちが撮影した1989年でした。
私が担当した星番組の中で、星空の撮影を振り返ると、日本での夏の夜空の「はくちょう座」が広がる世界から始まり、南半球チリでの夏の「みなみじゅうじ座」が潜む夜空の星々の撮影で集大成された気がしています。そんな自分の体験を、私の愛読書でもある宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の物語に登場する「はくちょう座」の星々が描く北十字から「みなみじゅうじ座」の南十字星へと走る銀河鉄道の天の軌道になぞらえて思いだすこともあります。

南十字星の見分けかたとして、すぐそばに位置する「石炭袋」と呼ばれている暗黒星雲の存在を確認することも有名です。この暗黒星雲は、「銀河鉄道の夜」では、銀河鉄道の旅の終わりに登場します。作品では、主人公のジョバンニと友人のカムパネルラが、ここで永遠の別れをし、カムパネルラが、「石炭袋」の闇の中へ消えうせたように思えるような表現になっています。「したのやムラ」の夜空で見た南十字星の世界が、「銀河鉄道の夜」を知っている後世の私達にとって銀河鉄道の終着駅の世界にも見えることは、私にとって不思議な体験となりました。

 「したのやムラ」の星空で、はじめて南十字星に出会った皆さんは、すぐそばに見える「ケンタウルス座」の明るい二つの星と、南十字星の左下に広がる「石炭袋」にもよく注意して眺めてください。それは、実際の夜空で皆さんが南十字星に出会っても、南十字星を「ニセ十字星」とは間違えない貴重な体験となっているはずです。

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OLYMPUS DIGITAL CAMERA高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科 学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを 歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。 2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)

地球を離れて40年、宇宙探査機ボイジャーが示すもの

2017.08.31 12:31:48
テーマ:館長コラム 

 多摩六都科学館のエントランスホールに入ると、正面で皆さんを迎える当館のキャラクター「ペガロク」に会えるはずです。その真上をご覧ください。天井に浮かぶ巨大な探査機を発見できます。宇宙探査機ボイジャーの実物大模型です。ボイジャーと名づけられた探査機は同じタイプの1号と2号があります。この双子の探査機は、今から丁度40年前、1977年の夏、アメリカのケープカナベラルから打ち上げられました。

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<当館エントランスにあるボイジャーの実物大模型>

ボイジャー1号は1977年9月5日、ボイジャー2号は1977年8月20日に地球を出発しました。1号と2号の順番が逆になったのは、1号で不具合が発見され、後発になったと言われています。いずれにしても、40年前に飛び立った、この二つの探査機は太陽系の木星より外側に存在する巨大な惑星とその周りを回る衛星の世界について、幾つもの新発見を重ね、その後の太陽系科学の探査計画を導いてきました。

 宇宙へ飛び立って40年、探査機ボイジャーは今も宇宙で探査活動を継続しています。特に、ボイジャー1号は土星を観測後、土星の衛星タイタンを観測し、その後は太陽系惑星の軌道面から外れ、太陽の勢力範囲である太陽圏の中で太陽から放出されている太陽風の観測を続けました。2010年にはその勢力圏の端に達して、現在では太陽から200億km以上も離れた星々が支配する銀河系空間を飛行しています。2008年以来、搭載の原子力電池の電力使用を節電し、2025年頃までは地球との通信が可能だと言われています。

皆さんが科学の展示施設で出会う探査機の多くは、成果を上げた後、現在は既に活動を終った探査機がほとんどです。これに対して、地球を離れて40年、今も宇宙で探査活動を続けている探査機を示す、エントランスホールにある実物大模型のボイジャー探査機は多摩六都科学の宝物の一つになっています。

今年の夏、木星探査機ジュノーが木星の極軌道を回りながら撮影した木星表面の大赤斑や極を取り巻く巨大なオーロラが天文ファンの間では大きな話題になりました。その中で私にとっては忘れられない画像がありました。それは木星のメイン・リングと呼ばれる木星の環を捉えた画像でした。木星のメイン・リングは1979年にボイジャー1号が初めて発見しました。その後、打ち上げられた探査機の観測で木星には4本の環が発見されています。

木星の環は、いずれも微細なチリがリング状に浮かぶ世界で、撮影が難しく、その後、メイン・リングを観測した探査機も、後方や前方からの光を散乱する環を撮影してきました。これに対して、昨年から木星を回り、観測を続ける探査機ジュノーは、星空を背景に木星の環の内側からメイン・リングを撮影することに成功しました。環を通して背景の星空には「オリオン座」の左肩の一等星ベテルギウスと「オリオン座」のベルトを示す三ツ星が撮影されています。その写真を載せておきましょう。興味をお持ちの方は調べてみてください。

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<木星探査機ジュノーが内側から撮影した木星の環>NASA提供

星空を背景に浮かぶ探査機ジュノーの木星の環の画像は、この40年間に、太陽系の細部の姿を私たち人類が如何に色々と知ることになったかを具体的に物語っていると思います。

多摩六都科学館のエントランスホールに入ったとき、天井に位置するボイジャー号を眺めて、地球を飛び立って40年、今も宇宙を飛行するボイジャー1号の姿を想像して遥か太陽系の彼方の宇宙に皆さんも思いを馳せてみてください。

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OLYMPUS DIGITAL CAMERA高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科 学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを 歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。 2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)


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