髙柳雄一館長のコラム

ボイジャーの贈り物

2013.04.18 11:19:47
テーマ:館長コラム 

 この春、久しぶりにNASAの探査機ボイジャーが話題になりました。3月20日、アメリカ地球物理学連合が発行する雑誌に、ボイジャー1号が太陽系を脱出した兆候があるとする記事を掲載したのです。この発表に対してNASAの研究者たちは、この兆候に気づいてはいるが、それが太陽系の脱出を示すものかどうか、さらに検討が必要であると述べています。どちらの科学者もボイジャー1号が太陽の勢力範囲を示す太陽圏の外側の新しい領域に入ったことは認めていますが、そこが宇宙の星々が占める恒星の世界と断定できるかどうかには慎重な態度をとっているのが印象的です。

ボイジャー

 ご存知の方も多いと思いますが、探査機ボイジャーには1号と2号があり、重さや形態、附属した観測機器までほぼ同じです。いずれも1977年の夏に打ち上げられました。現在、ボイジャー1号は、地球からはボイジャー2号に比べて数十億キロ以上も遠く離れ、太陽系の果てを航行中です。ボイジャー1号が話題になった理由は、太陽系の外へいつ脱出するのか、ボイジャー1号から送られてくる観測データの変化に多くの学者が大変注目しているからです。

 ボイジャーによる探査計画は、1970年代後半から1980年代にかけて、木星、土星、天王星、海王星が太陽系の同じような方向に並ぶため、それらの惑星の重力を利用するスイングバイ航法を巧みに用いると、太陽から、より遠くまで探査機が到達できる最適な年に実施されました。木星、土星、天王星、海王星を探査機ボイジャーが通過した際の観測成果は、惑星表面だけでなく、それを取り巻くいくつもの衛星表面まで捉えることができました。スイングバイ航法を用いなければ、地球を出発したボイジャーの速度だけでは木星あたりまでしか到達できなかったと聞いたことがあります。外惑星を探査し終わった二つのボイジャーが、今も太陽系の探査をさらに続けている計画を立案した科学者の壮大なアイデアの素晴らしさに気づかされます。

 ボイジャーへの思いを感じる素敵な場所が多摩六都科学館にあります。エントランスホールに入って、上をご覧ください。探査機ボイジャーの実物大模型が天井から下がっています。こんなに大きな探査機が現在、太陽系の果てを航行し、やがて太陽の勢力範囲を超えて星々の世界にまで旅を続けるのかと想像すると楽しくなりますね。それだけではありません。太陽系の外に出て星々の世界をやがて旅する探査機ボイジャーには素敵な荷物が積まれています。

 ボイジャー号

 「地球の音」と題された金メッキの銅板性レコードです。中には地球上の様々な音や音楽、55種類の言葉による挨拶、それに科学情報を示す写真やイラストなどが収録されています。探査機表面に貼られたこの金色のレコードは、サイエンスエッグへの入場の際に並ぶ二階の通路から見ることもできます。これは、太陽系の外に広がる宇宙の星々に住む見知らぬ知性を持つ生命体へ、地球人が送るメッセージとして計画されました。現在、観測技術の進歩によって、生命の存続可能な惑星系が続々宇宙で発見されています。太陽系を脱出したボイジャーが、いつの日か宇宙の知性ある生命体に届く可能性はボイジャーが地球を離れたころよりもはるかに高くなってきています。

 プラネタリウムの中で見る星々の世界に比べると、太陽系は太陽の周りの小さな世界であることは明らかです。ボイジャー1号は人類が作った探査機の中で、現在、最も遠い宇宙を旅しています。そこがまだ太陽系の中なのか外なのか。科学者たちの議論を読みながら、あらためて宇宙の広がりと太陽系、地球の微小なこと、そして、それを意識できる人間の知性の力の不思議さを感じます。こんな意識をもたらすことが、ボイジャーの地球人への贈り物のひとつなのかもしれません。

【追記】
「地球の音」、Voyager Golden Recordに収録されている音源を実際に聴くことができます。
Voyagerの映像、そして丸いレコードをクリックしていくとリストが表示されます。サイトはこちら

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髙柳雄一館長

高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年、東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科学 系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフ・プロデューサーなどを 歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。

2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)



春の夕暮れを楽しむ

2013.03.16 15:38:36
テーマ:館長コラム 

 子どもの頃から夕日を眺めるのが好きでした。有名な『星の王子さま』が、住んでいた小さな天体の上で、座ったイスを移動させながら日の入りを40回以上も眺めたという場面を読んで、とてもうらやましく思ったものです。そんな私にとって、素晴らしい夕日を観察できる素敵な場所が、多摩六都科学館にあることを気づかせたのは、12月下旬から1月上旬、住宅街の間から見える富士山に連なるスカイラインに日没の太陽が没する姿を初めて見たときです。

HP_ダイヤモンド富士

(2012年12月6日 16時24分 多摩六都科学館にて 撮影:齋藤正晴)

 多摩六都科学館天文チームが撮影した、富士山の頂上に太陽が沈むダイヤモンド・フジの画像を既にご覧になった方も多くいらっしゃることでしょう。多摩六都科学館には、西の空、太陽を追いかけて地平に沈む天体を観察する最適な場所があったのです。今年の春はそんな場所から惑星の中でも太陽に最も近い惑星である水星を何度も眺めることができました。見つけてしまうと発見は容易になります。夕方の空、帰宅途中の科学館南入口バス停でもバス待ちの間、しばし水星を眺め続けた体験は忘れられません。

 今年の春の夕暮れ、日没後の夜空の大きな話題は、チャンスがあればパンスターズ彗星の出現に出会えることです。日没を眺め、その後に訪れる宵闇の中で、天文チームが現在、撮影に挑戦を続けています。私もできるだけ参加したいと頑張っていますが、まだ実現していません。天文チームには是非とも撮影に成功して欲しいと願っています。

 春の夕暮れは、桜前線が訪れると朧月夜に花の香りも加わり、値千金(あたいせんきん)などと昔から言われてきました。今年は、条件が整えば、肉眼でも見える「ほうき星」も期待できます。既に南半球では丸く広がった頭から美しい尾を引いた「おかしら付き」のパンスターズ彗星の画像が撮影され発表されています。夕闇の夜空にそれを想像して夜空を眺めるのも、また今年の春の楽しみといえるかもしれません。

 春の夕暮れに関しては思い出があります。大阪と京都の間の淀川の支流に水無瀬川と呼ばれる川があります。この川の辺りから夕暮れを読んだ有名な和歌に「見渡せば山もとかすむ水無瀬川、夕べを秋となに思いけむ」という短歌があります。この歌は作者がここで眺めた春の夕暮れの美しさを秋の夕暮れと比べて表現した作品です。清少納言が「春はあけぼの、・・・、秋は夕暮れ、・・」と述べた表現を意識した作品だそうですが、春の夕暮れの方が秋の夕暮れよりも素晴らしいと感じた水無瀬川に興味をもったことを覚えています。そして、実際に一度、水無瀬川と思われる場所を春に季節に散策したことを思い出します。

 子ども時代にあこがれた夕日の美しさは、今では、それを朝の光として眺める人々の存在まで想像して一層楽しめるようになりました。パンスターズ彗星を春の夜空に眺めるのは北半球に住む私たちです。南半球に住む人々には秋の夜空に同じ彗星を眺めていると想像できるのも、もう一つの楽しみ方かもしれません。朝日も夕日も同じ太陽、春の夕暮れに見る星空は地球の何処かでは秋の夕暮れの星空です。私たちがこんな世界の成り立ちを意識できるのも科学の贈り物かもしれません。

 HP_パンスターズ

(2013年3月15日 18時30分 多摩六都科学館にて 撮影:齋藤正晴)

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髙柳雄一館長

高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年、東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科学 系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフ・プロデューサーなどを 歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。

2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)




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