髙柳雄一館長のコラム

2021年09月一覧

秋になって思い出す言葉「体露金風(たいろきんぷう)」

今年の夏は新型コロナウイルス感染症拡大の最中であり、戸外ではマスク着用、手洗い励行、感染予防のため他人との距離を隔てた行動の実施に加えて、暑い日差しの下、熱中症対策にも追われた日々が続きました。九月になっても、コロナ禍の状況は依然として続いていますが、夏から秋へと移行する季節がもたらす和らいだ陽ざしに触れる機会も多くなり、ホッとした気持ちにもなります。

今年は9月20日が「敬老の日」、暦の上で秋を示す「秋分の日」は9月23日です。四季を示す国民の祝日は「春分の日」と「秋分の日」だけで、夏至や冬至は選ばれていません。夏冬にくらべ、春と秋は心地よく過ごせる季節ですから、それも頷けます。しかし、生活への影響は春と秋で大きく違います。秋が来ると、夏の間に緑を増した木々も、落葉樹は葉を落とし、一時は際だって見える紅葉もやがて落ち葉となります。人間が、秋に抱く思いは、冬を迎えて終末の姿をみせる植物にも大きく影響されています。九月のカレンダーに記された「敬老の日」と「秋分の日」を眺め、「老い」と「秋」に関する祝日が同じ週に続くことに気づいても不自然さを感じないのは、それが理由となっているのかもしれません。

老いの訪れを秋の草木の様子と端的に関係づけた表現で、秋になると思い出す言葉があります。中国の有名な禅僧である雲門が「碧巌録」という禅問答を集めた本に残した言葉です。それは、ある僧が雲門に「樹しぼみ葉が落ちる時、どうでしょうか?」と問いかけた際、雲門が答えた「体露金風(たいろきんぷう)」です。「金風」とは、古代中国の五行と呼ばれる思想で秋は金で示されますので、秋の風を指します。収穫の秋、黄金色にも見える稲穂を思い浮かべると、金風を、秋のみのりの風と言いかえることもできます。ここで、私が一番印象深く感じるのは、秋の風「金風」の前に置かれた「体露」という表現です。この言葉からは、秋風に晒されて、あるがままに全てを見せる自己を端的に示す雲門の姿勢を明確に感じるからです。それは老いを迎えて秋の風を穏やかに楽しんでいるようにも思えます。

九月のカレンダーをみて、「体露金風」と言う言葉を思い出し、終末を迎えた人間の活動に思いを巡らせていますが、この1年、人間以外にも、終末を迎えた色々な活動に出会ったことにも気づかされます。今月の館長コラムでは、そんな事例を一つ取り上げてみます。

昨年12月、アメリカ・プエルトリコにあるアレシボ天文台(Arecibo Observatory)の巨大電波望遠鏡が崩壊し、900トン余りの受信機が約140メートル下のパラボラアンテナに落下して粉砕したことを知りました。この巨大望遠鏡はアレシボにあるカルスト地形の窪地を利用しアンテナとなる直径305 メートルの球面状の反射面を造り、3本のマストで高さ150メートルに受信機を吊り下げた固定式の電波望遠鏡でした。1963年に完成し、2016年に中国の500メートル球面電波望遠鏡が完成するまで、単体としては世界最大の電波望遠鏡として電波天文学の発展に貢献して来ました。とてもユニークな形をした電波望遠鏡です。


Arecibo Observatory, Puerto Rico

この知らせに接したとき、地上150メートルにあったこの受信機の上に立って、人類の地球外知的生命体探査で果たしたアレシボ電波望遠鏡の役割について、レポートをした時のことを思い出しました。NHK解説委員をしていた時です。アレシボの巨大電波望遠鏡は電波による天体観測で数々の偉大な観測成果を上げたことで良く知られていますが、天体観測と同時に平行して実施された地球外知的生命体探査との関わりでも世界的に有名です。

1974年、アレシボ電波望遠鏡の改装記念式典において、宇宙に存在するかもしれない地球外知的生命体へ送信された電波は、アレシボ・メッセージと呼ばれて、地球外知的生命体探査を人類が始めた記念的行事とされています。興味をお持ちの方はWEBなどで調べてみてください。ここでは、知性を持った生命体なら再生できると想像して科学者が生み出した電波が描く送信された画像を紹介しておきます。


Arne Nordmann (norro), CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=365130による

このメッセージは地球から約2万5000光年の距離にあるヘルクレス座の球状星団 M13 に向けて送信されました。球状星団は宇宙の初期(ビッグバン直後)に形成された恒星の集団であり、生命を形成しうる重元素が非常に少なく、知的生物が発生する可能性はきわめて低いと言われます。しかし、メッセージの受け手について何も知らない地球人の試みとしては、数十万個の恒星が集う球状星団へ、一度にメッセージを送る試みは効果的にも思えます。

メッセージの内容に関して、ここで触れたいのは、画像下部に上下が逆に描かれたアレシボ電波望遠鏡パラボラアンテナの絵です。昨年、地上で終末を迎えた電波望遠鏡の活動時の姿を描いた画像が、宇宙の闇の奥深く、宇宙に存在するかもしれない知性を持った生命体に届くことを期待して電波として飛翔していることを想像すると、終末を迎えた活動が後世に残した印象深い痕跡にも感じます。アレシボ電波望遠鏡が地上で崩壊し、姿を消した現在、アレシボ・メッセージは、地球文明が宇宙に残した未来への遺産と言えるかもしれません。

今回のコラムは、老いを迎えた人間の姿勢を語ると思われる「体露金風」と言う表現に誘われて、宇宙にまで思いを巡らしました。地上に戻って、秋風に晒された草木にも思いを馳せると、冬を過ごし、春を迎えて再生を試みる生命活動がそこには潜んでいます。それを考えると、終末を迎える人間の姿も次世代へつなぐ活動だとも思えます。

九月になっても、新型コロナウイルス感染症拡大の勢いは収まりそうにありません。パンデミックな状況を知るにつけ、地球文明が危機的な状況にあることにも気づかされます。現在、感染拡大の終息を目指す試みが世界中で続けられていますが、人類がこの危機を乗り越えたとき、その活動が地球文明の新たな未来への遺産ともなることを信じて終わりにします。


高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)