髙柳雄一館長のコラム

今年の桜を眺めて考えたこと

彼岸を過ぎると、吉祥寺から利用するバスの窓からは、交通量の多い道路に面した都市空間でも、道路沿いで桜の花をあちこちで見かける機会が増え始めました。そのおかげで、学校や図書館など公共施設の入口では、日ごろ意識していなかった場所にも桜の木が何本もあることを知りました。それは昔から桜の開花を待ち、満開後の散り行く花をしばし眺めて春を過ごしてきた、私たちの桜の木を愛でる文化を反映しているようにも思えます。

特に花見に行かなくても、春になるとバスや電車の窓から、あちこちで桜の花を目にする私たちですが、家族や友人、知人と連れ立って、公園や川沿いに群生する桜の木々で知られた桜の名所へ、開花を待って集い、一緒に桜を眺めて過ごす花見は、卒業式や入学式など年度変わりの人生の節目の行事とも重なり、春の思い出を鮮明に彩る出来事になっています。

今年も、日本人にとって意義深い花見の季節がやってきました。一昨年以来、新型コロナウイルス感染症蔓延に見舞われて、感染防止の観点から、花見に集う人々の多い桜の名所では、桜の花の下に集い、宴席を設けることが禁止されてきました。今年の花見も、場所によって花見の宴の自粛を強く要請した状況は依然として続いています。そんなある日、東京での桜の満開が話題になった後でしたが、横浜に住む小学校で同級生だった友人と上野公園で集合し、桜見物の人々の中で、三々五々と離れて歩きながら桜を眺めて一日過ごしました。

桜の花に接すると、思い出すのは、過去の花見の体験ですが、そこでは、富山に住んでいた子どもの頃に遠足先の呉羽山の麓で見た桜や、大人になって父親と眺めた吉野山の桜、NHKに勤めていた時、代々木公園で仕事仲間と宴席を設けて眺めた桜など、自分の人生の中で過ごした時間と場所が異なる世界が幾つも重なって広がっています。上野公園で今年出会った桜の花は、そんな過去の記憶を引き出す不思議な力を持っていることにも驚きました。

上野公園での花見は、ニュースでも紹介されていましたが、つきあたりに大噴水と東京国立博物館がある「さくら通り」の両側にある有名な桜並木では、片側一方通行で歩きながら桜見物するように規制され、その他の、清水観音堂前など、上野の森のあちこちに咲き揃う桜の木々は、全て周りを低いネットで囲って、傍では宴席不能にされていました。いずれにしても、咲きそろう桜の樹々は歩きながら眺め、人混みを避けて桜の花に接する機会を持てるよう配慮されていることが分かります。この状況が、花見の移動に伴って桜の花にまつわる時間空間を超えた記憶の結びつきを生み出していたのかもしれません。

感染症蔓延状況の中で、人々が集う活動ではオンラインによる結びつきが目立っています。
テレビやパソコンで眼にする多くの情報にはインターネットに容易に接続できるQRコードも表示されています。背後に潜むインターネットの世界は無視できません。私たちの日常世界がオンラインの世界に支えられていることにも気づかされます。そんな日常のオンラインを離れて、今年の花見は、私にとってはインターネットの世界を離れたオフラインの貴重な体験でした。同じ空気の中で友人とも過ごした今年の桜を眺めた体験は、私にとって新しい花見の記憶として鮮明に残ると思っています。

みなさんも今年の花見では、家族や友人と桜の花をオンラインではなく、その場で対面して楽しむ、オフラインの貴重な体験としても重ねられることを願っています。


▲今年の館庭の桜はちょうど今が見頃です(2022.3月末に撮影)


高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)