髙柳雄一館長のコラム

時空を超える鯉のぼり

端午の節句を迎え、近くの保育園でも園庭を挟む校舎上層部にロープが張り渡され、そこに吹き流しと黒い真鯉(まごい)と赤い緋鯉(ひごい)、更には青い小さな鯉が結ばれ、風の中を泳ぐ姿にも接する機会が増えました。「端午の節句」に当たる5月5日は、今では国民の祝日として「こどもの日」とされ、子供たちが集う場所では、大きな鯉のぼりが空を背景に飾られる景色もお馴染みになっています。普段は川や池などの水辺で、水面下に眺める鯉たちに加えて、風薫る5月の空に泳ぐ鯉のぼりは日本独特の初夏の景色かもしれません。

端午の節句は、古くから男の子のすこやかな健康を願ってお祝いをする日でした。この日に鯉のぼりを飾る風習は江戸時代から盛んになったと言われています。ご覧いただくのは『名所江戸百景」(めいしょえどひゃっけい)』に残る浮世絵師の歌川広重が1857年に描いた「水道橋駿河台」と名づけられた、江戸時代の鯉のぼりの見える景色を見事に描いた浮世絵です。


出典:錦絵でたのしむ江戸の名所 (https://www.ndl.go.jp/landmarks/index.html)

「水道橋駿河台」という題名は、神田川に架かる水道橋越しに駿河台の町を見下ろした景色を示しています。水道橋はJR総武線の駅名でご存じの方がいらっしゃるでしょう。解説を読むと神田川は画面の下方を右から左下方向に流れています。おそらく「お茶の水駅」に対面する本郷台地から眺めた風景でしょう。川に沿った松林の緑の土手は現在なら総武線の線路がある場所のようです。水道橋という地名は、神田川上流に設けられた堰(せき)で飲料水を汲み上げて神田上水(かんだじょうすい)として流していた懸け樋(かけひ)と呼ばれる水道の橋がこの付近にあったことを示しています。

話を江戸時代に確立した鯉のぼりに戻します。この絵をご覧になって、私たちにお馴染みの現在の鯉のぼりとどこが違うか皆さんは気づきましたか?
まず、大きな鯉のぼりが手前にくの字に曲がって空中に翻っています。そして土手越しの遠景にふたつ鯉のぼりが見えます。それがどれも真鯉だけであることに注意してください。それから奥に広がる駿河台の屋敷のあちこちでは吹き流しや旗指物(はたさしもの)や幟(のぼり)が描かれていますが、鯉のぼりは見えません。武家屋敷の多い駿河台では端午の節句は吹き流しや幟で祝う、当時の武家の習わしが見事に反映しています。
この絵をみても、鯉のぼりを上げるのは町人の文化だったという説明も頷けます。

端午の節句が「こどもの日」となった現在、男の子も女の子も、こどもたち全員のすこやかな健康を願って祝う祝日となっています。そんな背景を考えると、真鯉に緋鯉、さらには青や黄色と多彩な鯉も集う、家族にも見える鯉のぼりの風景を楽しむことができる時代に私たちが生きているすばらしさを感じます。

この季節、多摩六都科学館の前庭には、大きな鯉のぼりが六匹も集い、風の中を泳いでいます。江戸時代、武家社会の習いだった端午の節句の幟や旗指物の世界に、町人文化の鯉のぼりが入り、水中から空中へ放たれた鯉のぼりが、浮世絵を通して時空を超えて楽しめる豊かな鯉のぼりの文化を生み出した歴史にも思いを馳せて頂ければ幸いです。


多摩六都科学館では今年も元気にこいのぼりが泳いでいます(2023.04.28)




高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)