髙柳雄一館長のコラム

天の川銀河に探る私たちの未来

世界的流行となったコロナウイルス感染症拡大の勢いは何時衰えるのか、予測がつかない状況が続いています。日本だけではなく、世界中で、手洗い励行とマスクの着用、対人距離の確保が人々に求められていることを知ると、今回の感染症の流行が地球に住む私たちの文明の未来へどんな影響を及ぼすのか、そんなことまで心配になって来ます。地球文明の持続には、感染症の世界的流行の危機を乗り越える手立てを持つことが必要不可欠であることに、私たちは、現在、あらためて気づかされているのかもしれません。

電波を巧みに操り、通信衛星や放送衛星を使い、地球全体で情報を共有して、私たちは暮らしています。地球の至る所で進行するコロナウイルス感染症拡大の状況を知ることができるのも、地球文明を特徴づける電波利用技術の成果です。今回、そんな地球文明の未来への危機を感じた時、地球文明のように電波の交信技術を持った文明の未来を宇宙で意識した天文学者の研究を思い出しました。

それは、電波で交信できる地球外知的生命の文明が天の川銀河に存在するとしたら、「いくつ存在するのか?」を求めた研究でした。天の川銀河にある太陽系の地球には、それが既に存在していることは事実です。それを踏まえて、天の川銀河に存在する宇宙文明の数を求める式を、アメリカの電波天文学者フランク・ドレイク博士が発表したのは1961年でした。

この式は、天の川銀河で一年間に生まれる恒星の数、恒星が惑星系を持つ割合、惑星系で生命が存在できる惑星の数、その惑星で生命が誕生する割合、その生命が知性を獲得し知的生命に進化する割合、知的生命が星々の間で通信を果たせる技術を持つ割合、知的生命が手に入れた電波で交信できる技術文明を存続できる期間など七つの値を推定し、それらを掛け合わせる式となっています。ドレイクの式に興味をお持ちの方は、ご自分で調べてみてください。ここでは七番目に登場した値が宇宙文明の寿命にあたることに注目しておきます。

ドレイクの式が公表されて以後、人類の宇宙探査の成果の広がりは膨大です。ドレイクの式と関係する項目で有名なのは、1995年に「ペガスス座」に輝く太陽に似た星の周りに存在する惑星の発見でした。昨年、この成果が認められ、発見者であるスイスにあるジュネーブ大学のミシェル・マイヨール博士とディディエ・ケロー博士の二人がノーベル物理学賞を受賞しています。この発見は、それ以後の太陽系外惑星探査を導き、現在では太陽系以外で4000個以上もの惑星が発見されています。

ドレイクの式と関連するその後の宇宙探査の成果を活かして、6月15日、イギリスにあるノッティンガム大学の天体物理学者たちは、「アストロフィジカル・ジャーナル」誌に発表した研究成果の中で、知的生命が天の川銀河で存在できる条件を検証し、地球上で生命が誕生してから私たちが生まれて現在にいたるまで約50億年かかっていることや、地球がさまざまな鉱物でできていることなど、地球の知的生命について分かっていることを基に、知的生命による文明が存在できるのは太陽に似た星に存在する惑星系に限定するなど、天の川銀河に存在する知的生命に関する仮定を導き出しています。その結果、天の川銀河には地球のような知的文明社会を持つ惑星が36あると言う、興味深い結果を出しています。
(https://iopscience.iop.org/article/10.3847/1538-4357/ab8225)

皆さんはこの結果をどう思われましたか? 意外に多いと思った方も、少ないと思った方もいらっしゃるでしょうね。この数字を、研究者たちは人類が無線通信を発明したのがわずか100年ほど前だったことを基に、宇宙の文明社会の平均寿命を100年前後と計算した結果だと説明しています。そしてもし文明社会が100年よりも長く存続できる場合、天の川銀河のあちこちで数百の文明が活動していておかしくはないと述べています。

天の川銀河では知的文明が絶えず生まれては、しばらくのあいだ無線信号を宇宙へ送り出し、やがて消滅して消えているのかもしれません。いま現在、どれだけの知的文明が活動しているかは、そうした文明の平均的な存続期間によって変わるようです。地球外にある知的生命の文明を探し、天の川銀河で現在活動している知的文明の数を知ることができれば、地球文明がどれだけ長く存在できるのか、その可能性を探る手がかりにもなり得るようです。

七夕の季節を迎えました。私たちにとって七夕は地上の思いを夜空の星々にはせる機会でもあります。今年は、世界的感染症流行の危機に見舞われている地球文明の未来にも思いをはせて、天の川の星々を眺めてみたいと思っています。






高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科 学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを 歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。 2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)