髙柳雄一館長のコラム

時の歩みに触れる新年

新しい年がはじまりました。手帳やカレンダーを取り換え、この1年の計画に思いを馳せた方々もいらっしゃるでしょう。年が改まっただけで、身の回りの世界が新しくなったように感じるのは何故でしょうか?子どもの頃から新年を迎える度に不思議な気がしています。時間は流れて留まることがありません。時間まで含めると、私たちは絶えず移り変わる新しい世界の中で過ごしているはずです。お正月は特にこの時間の歩みに気づかされる機会となっているのかもしれません。

多摩六都科学館に勤めてこのコラムを書き続けていますが、年末年初に書いた話題では多くの場合、時の流れに触れていることに気づきました。私の場合、一年の中で時の歩みを意識することが多い季節なのかもしれません。

時間のことを書いた本に引用されることが多いキリスト教神学者アウグスティヌスの言葉があります。それによると『時間とは何か。私に誰も問わなければ、私は「時間とは何か」を知っている。しかし「時間とは何か」を問われ、説明しようと欲すると、私は「時間とは何か」を知らない。』と言う表現があります。

アウグスティヌスほどではありませんが、私たちも意識して時間とは何かを考えてみると自分でも納得できる説明は出来ないように思います。それだけ時間を意識した時、私たちは時間の不思議さに気づかされます。その一つが時の歩み方です。

無意識に私たちが日常で触れている時の歩みは時計やカレンダーで確認して過ごす時間です。この時間では、60秒で1分、60分で1時間、24時間で1日、日を重ねて月を定め、12ヶ月で1年と単位とする時間を繰り返しながら時の歩みが進みます。めぐる時間と言って良いでしょう。これに対して宇宙誕生から138億年など、時の流れの中に繰り返す現象が見つけにくい時の歩み、例えば生命の進化などを示す際に使われる直線的に流れる時間もあります。この方は過去から現在、そして未来へと一方向に流れる時の歩みが強調されている気がいたします。

お正月を迎える度に私たちが意識する時の歩みはめぐる時間です。これに対して誕生日に意識する年齢は直線的な時の歩みになるのでしょうか。いずれにしても私たちは二つの時の歩みの中で生活していることが分かります。

人類が地上に現れ、時の流れを意識したとき、生活の中で利用したのは、めぐる時間が最初だと思います。そのため古代から利用してきたのは月や太陽の動きに現れる周期現象でした。月の場合は月の満ち欠け、太陽の場合は最初に日の出や日没の地平線上での位置が季節で変化することが利用されました。

現在、私たちが使っているカレンダーは太陽の動きをもとにつくられ「太陽暦」と呼ばれています。これに対して、この太陽暦が採用される以前、日本で使われていた旧暦では、月の満ち欠けをもとに、季節をあらわす太陽の動きを配慮して作られた「太陰太陽暦」が使われていました。

面白い事に今年のカレンダーの1月は、旧暦の12月と重なっています。そのため元旦が旧暦の12月1日で新月の日に当たり、1月30日まで旧暦の月の満ち欠けに従って夜空を楽しむことができます。

めぐる時の歩みを刻む日月年が一斉に同時スタートするお正月。太陽暦と旧暦の月の満ち欠けが重なる2014年1月は日頃意識しない時の歩みに触れる最適の機会かもしれません。

2014nenga

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髙柳雄一館長

高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年、東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科学 系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフ・プロデューサーなどを 歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。

2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)