髙柳雄一館長のコラム

忘れられない八月の星空

猛暑の夏を迎え、熱中症への警戒が必要な日々が続いています。新型コロナウイルス感染症の拡大状況は依然として収まってはいません。こんな状況の中で、一年延期を経て予定通りに開催されたオリンピックでアスリートたちが見せたメダルを競う多彩な姿をテレビで視聴し、一喜一憂された方もいらっしゃったと思います。緊急事態宣言が出された東京で開催された今回のオリンピックは、人類の歴史の中で世界的にも特異な状況下での営みでした。それだけに誰にとっても一生忘れられない思い出をいくつも残したに違いありません。

八月は、子どもたちの夏休みとお盆休みもあり、郷里に帰り親族で集まる方々もいらっしゃることでしょう。お盆では、お墓参りをして祖先を思い、その恩恵に感謝する機会ともなっています。また第二次世界大戦の終戦を記念した八月十五日は、今に生きる私たちにも関係した過去の忘れてはならない出来事を思い出させてくれます。多くの日本人にとって、過去に思いを馳せる機会の多い八月、私自身にも忘れられない思い出が蘇ってきます。

私は一九四五年八月二日未明、富山市で母と共にアメリカ空軍の空襲に見舞われました。終戦の二週間前で、六歳の時でした。空襲の正確な日時や状況は大人になって調べて知りました。そのとき、夜空に炸裂する焼夷弾の音を聞き、地上で燃え上がる家屋や樹木を包む火炎を逃れ、道端近くにあった狭い溝に入り、水に漬かりながらも母と共に身を寄せ合っていたことを覚えています。そして、燃え盛る木々の彼方に発見した輝く星を眺めながら、朝を迎えたことを思い出します。空襲が齎す恐怖を少しでも忘れようと、「あの星が見えている限り自分は生きている」と信じて、母と共に無事に朝を迎えたことは一生忘れられません。

あのとき、星が見えた宇宙は私たちが生きている世界でした。「私たちがいるこの世界に、あの星も一緒にいるのだ」と、それまで自分とは関係もないと思っていた星をとても身近に感じました。その後、中学生の時、太陽の誕生と死を説明した宇宙科学の啓蒙書を読んで、星々にも寿命があることを知りました。そのとき、宇宙では星もやはり寿命を持つ人間と同じ存在であることを明確に気づかされ、空襲の夜空で眺めた星に親近感を持った子どもの頃の体験を鮮明に思い出しました。

大学で天文学を学んだ私はNHKに在職中、ラジオやテレビの番組を演出制作して、その後は解説委員となってからも、宇宙の話題を取り上げて社会へ伝える仕事を大切にしました。その際、何時も富山の空襲で見た八月の星空を思い出し、最先端の宇宙科学が探る世界も、私たちの生きている世界と繋がっていることを多くの皆さんに知らせようと努めました。

星空を眺めて生きている自分を確認できた宇宙は、最新科学が探求する宇宙と一体どのように結びつているのか? それはどうして確かめることができるのか? 私たちが生きている世界が同じ宇宙に属している以上、こんな疑問が出てくるのは当然です。宇宙の天体観測技術が発展し、宇宙が誕生した138億光年も彼方の姿まで人間は観測できるようになりました。私たちは科学の目で宇宙を眺め、今ここにいる自分とその世界の存在を可能にした星空を見ているのかもしれません。人間の星空への興味は何時までも尽きないようです。




高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)