髙柳雄一館長のコラム

人づきあいの風景にみる新年度

東京で桜の開花が報告された翌日、家から近い神田川に沿った桜の並木道に出かけ、枝先に咲き初めた花びらをいくつか見つけました。花を見ながら、周りを行きかう人々にも出会い、昔から桜の花見で春の訪れを楽しんできた私たち人間の営みが今年も始まったことを知り、ホッとした気持ちになりました。

昨年の春は、日本でも新型コロナウイルスの感染が拡大をはじめ、不要不急の外出制限が要請されて、多くの方々にとっては、友人仲間と集う花見の宴は実施できず、満開の桜の下で、距離を置いてゆっくり花を眺めて歩くことだけがどうにか許されたことを思い出します。

その後、私たちの身の回りでは、自然環境はともかく人間が伴う環境は、この1年大きく様変わりしました。人間が集う場では、新型コロナウイルス感染リスクを減らすため、マスクを着用し他人と2メートルほどの距離を保つことが社会的に要請されたからです。現在では、家をでたら、必ずマスクを着用し、人と接する場所では、他人との距離を絶えず意識して過ごす世界となりました。

人間社会は、ほとんどが他人と接して営まれています。家庭や、教育現場、職場など、顔見知りの人と過ごす場もあれば、大勢の見知らぬ人々と接して生活する駅や公共の場もあります。他人と過ごす場に応じて適度に距離を保つことは、人間にとって不可欠な営みでした。私たちは生まれて以来、家庭や学校、公共の場で、場に相応しい他人との距離を判断して行動する態度を身につけ、大人になってもそれを続けています。

場にふさわしい他人との様々な距離を維持して私たちは生活しているとも言えます。この場に応じた様々な対人距離が許されていた世界が、現在では、人と接する全ての場で、新型コロナウイルス感染リスクを減らす社会的距離を意識すべき世界に変わってしまいました。

社会環境が激変する中で、自然環境はこれまで通り移行し、花の季節が始まりました。開花後、通勤バスの車窓から、普段は目立たない枯れ木の様な古木の枝先に広がって目立つ桜の花を発見し、見過ごしていた道路に面した空き地のあちこちに桜の木が意外と多いことに気づかされました。そして、花を見ようと木の下でマスクを着用して佇んでいる人々を見かけると、花見を楽しむ人々が、どう変わったのかも気になる景色でした。

桜の名所に集う人々を紹介したテレビや新聞では、花見での宴席自粛を訴えた看板や表示が、花の下に佇むマスク姿の人々に対して、さらに感染症リスクを避けるために有効な距離の意識を喚起した風景が紹介されていました。昨年は中止せざるを得なかった季節の節目となる人々の集いも、新しい習慣のもと、復活しつつあることにも気づかされます。今年は、参加人数は制限されても、卒業式や入学式などの学校行事は中止されていません。新年度を前にした人間の適応能力にも感心させられます。

私自身は、花見に集う人々の多い桜の名所は避けて、家の近くの善福寺川緑地で見られる数本の桜の大木に咲く花見に出かけてみました。そこで出会った子づれのお母さんたちや 家族ずれなど少数の人々がマスクを着用し、さらに距離を保って花見をしている風景に接して、今年の花見を楽しみました。

近所づきあい、家族づきあい、学校づきあい、職場づきあい、友人づきあいと、公共の場よりも対人距離を密接に感じる世界で、人づきあいの風景はこの1年、大きく変わりました。新年度を迎え、新たな人づきあいを始める方々も多いことでしょう。感染症のリスクを意識した一期一会に私たちは向き合っています。お互いに注意して、新年度に始まる新たな人づきあいに期待したいと願っています。

 




高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)