「夏も近づく八十八夜」で、八十八は暦の立春から数えた日数を示し、立春が2月3日だった今年は5月1日が八十八夜になっています。暦の上の立春を春の始まりとすると、それからほぼ三か月過ぎた八十八夜は、春も終わり夏が近づいたと言えることが分かります。
「夏も近づく八十八夜」と始まる「茶摘み」は、夏を迎えた人間の新たな営みを表現していて、毎年、初夏になると自然に私が思いだす歌の一つになっています。
夏も近づき強まる陽ざしを受けて、冬には全ての葉を落としていた樹木も枝先に若葉を茂らせて緑に包まれ、緑陰の中に点在する木漏れ日が描く光景を見ると、植物の再生能力の凄さに目を見張らされます。5月は、多くの場所で植物を通して、生命が持つ再生能力の偉大さに触れられる貴重な季節かもしれません。
植物が人間に示す生命の再生能力が目立つのは、緑の世界ばかりではありません。春になると一斉に開花する桜の花も無視できません。昨年の春から続くコロナ禍のため、私たちが戸外で接する植物の世界も限定され、植物たちの絶え間ない再生活動に触れる機会も少なくなってきました。昨年の花見と同様に、花の下での集いは制限されたものの、今年は三々五々での密集を避けた花見が各地でようやく行われたことを知りました。
春の花の季節は終わりましたが、5月になると近隣の公園や空き地では、若葉に包まれた木々の緑を目にする機会も多くなり、今年も新緑の季節を迎えていることが確認できます。それは、植物の営みが見せる変わらぬ自然環境に対して、人間活動と深くかかわる社会環境の変化を目立たせてもくれます。昨年以来、新型コロナウイルス感染症拡大を防ぐため、社会環境は大きく変わりました。多摩六都科学館も緊急事態宣言での休館継続中に5月を迎えました。今、私たちは感染拡大状況の終息をひたすら待っていると言えます。
人間は、苦しいことは終わりを待ち、楽しいことは始まりを待つ、習性をもっているような気がします。夏も近づく八十八夜も過ぎた今年の5月、私たちがコロナ禍の終わりを痛切に待っていることは事実でしょう。夏の陽ざしをうけて若葉が茂り、再生を進める植物たちの新たな営みに触れる機会も多くなるこの季節、私たちも植物の様に来るべき時がもたらす新たな始まりにも期待したいものです。
多摩六都科学館の継続した開館の始まりを待ち望み、その際、皆さまと共に新たな科学館の活動を始めたいと願っています。


高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)
1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)