ロクトリポート

国宝『明月記』に記された星の記録

国宝『明月記』に記された星の記録

生解説プラネタリウム『赤い星・ベテルギウスの灯(ともしび)』スタートに伴い、サイエンスエッグの入り口前の2階フロアにて、「冷泉家王朝の和歌守(うたもり)展」の図録を展示しています。

こちらには2009年から2010に開催された同名企画展の図録で、プラネタリウムの中で紹介している藤原定家や明月記の画像が収録されています。藤原定家は鎌倉時代初期の歌人で、日々の記録をつづった「明月記」は国宝にも指定されています。

明月記は漢文で書かれ、克明な史実の記録として評価されています。58巻にまとめられた記録の中には、天文現象に関する記述も多く残されており、天文学的に大変貴重な資料なのです。中でも今回注目していただいきたいのが、寛喜二年(1230年)の記述です。

原文

「後冷泉院 天喜二年 四月中旬以降 丑時 客星觜参度 見東方 孛天関星 大如歳星」

書き下し文

「後冷泉院、天喜二年四月中旬以後 丑時客星觜参の度に出ず、東方に見え、客星天関に孛(はい)す、大きさ歳星の如し。」

書き下し文は文献や訳者により多少異なりますが、この記述を要約すると「天喜三年(1054年)4月(5月とする説もあり)中旬以降の夜中に、東の空、おうし座の角のあたりに明るい星が現れ、その明るさは木星(歳星)と同じだった」という内容になります。

原文にある「觜」と「参」は各々「觜宿」と「参宿」という古代中国でつくられた星座のことで、「客星」は、突然現れた見慣れない星のことを指しているのです。

実はこの部分は、定家が生まれるよりもかなり前の1054年の出来事であるため、陰陽師が調べて付け足されたものとされています。これは恒星が一生を終える時に大爆発を起こした「超新星爆発」の記録と考えられており、最も明るい時には昼間でも見え、出現後約2年間も見えていたといいます。

オリオン座のベテルギウスが超新星爆発を起こしたら、地上からはどのように見えるのでしょうか?果たして定家の記録と同じように見えるのでしょうか?それとも…?

生解説プラネタリウムでは、理論に基づく予想をもとにベテルギウスの爆発を再現し、その様子をみなさんに体験して頂きます。

さて、近頃ベテルギウスが暗くなっているという報告もあります。ベテルギウスは変光星であるため暗くなること自体はおかしくありませんが、それでも最近は特に暗いと話題になっているのです。もしかすると超新星爆発の前兆かもしれない?!と考えるとワクワクしませんか?番組を見た後には、ぜひ本当の空でもベテルギウスの輝きを見つめてみてください。その輝きが少し違って感じられるかもしれません。

全編生解説プラネタリウム『赤い星・ベテルギウスの灯(ともしび)』の投影は 2月9日(日)までです。