髙柳雄一館長のコラム

間(ま)の使い方にみる人間社会の時空観

今年の夏は記録的猛暑が続き、立秋を過ぎても昼間の暑さを避けて、日没近くになって散歩する機会が多くなりました。9月になると、日の入り時刻が日毎に早くなっていくことに気づかされます。昼間と夜の長さが長短を入れ変える秋分を迎える9月は、人間にとって夜の長さが伸びる印象的な月として、夜長(よなが)を意識して使われた旧暦の長月(ながつき)という名前が現在の新暦でも使われています。

社会的活動の多くを共に過ごす時間で行っている人間世界では、生活の上で役立つ時間をタイミングよく把握して有効に使い分けるのに便利な表現を生み出してきました。今回は、そんな表現の一つ、有限な時間の流れを示す言葉、「間(ま)」を取り上げてみます。

一般に間と言う言葉は、「締め切りまでには間があるとか」とか、「試験までには間がない」など、物事と物事の間の時間的へだたりを示し、場合によっては、「知らぬ間に道に迷った」とか、「寝ている間に泥棒に入られた」など、物事が続いている時間を示す言葉として日常会話でもお馴染みです。いずれも事柄と関係した有限な継続時間を意味していますが、芝居などでは動作やセリフに途切れた間が果たす役割を示し、空白の時間を意味することもあります。この他、「間の悪い時」や、「間が持たない」などで使う間は、時機、折り合い、チャンス、タイミングとして人間が意識する時間の感覚まで示しています。

限られた時間の流れに着目した「間」と言う言葉が、社会の状況に対応して色々な意味を示していることを知ると、人間が社会で持つ時間感覚を巧みに表現した間と言う言葉が果たす多様な役割にも気づかされます。一方で人間の社会活動を考えると多くの場合、人間は時間だけではなく空間も共に使っていることにも気づかされます。大変興味深いのは、間と言う表現が、時には物と物とのあいだに存在する空間も示していることです。身近な例では居間や茶の間など家屋を仕切る部屋の空間を示すことにも使われています。空間を示す間に関して最近の例で忘れられないのは、密集せずに間を開けて待機した、新型コロナウイルス・ワクチン接種会場の異常な体験です。多くの人間が集まる場所で、感染症の蔓延を防ぐ社会的距離を保つ間を空けることの重要性が強調されていたことも思い出します。

社会生活を営む人間にとって、間と言いう言葉は、共有している時間や空間を、お互いに間違いなく簡単に確認できる便利な言葉ですが、一方で時間と空間のどちらにでも使える曖昧さも大きな特徴です。考えてみると世界を絶えず意識して行動している人間にとって、時間や空間に見出す隙間は判断の変更を可能にするゆとりともなっています。人間にとって時間的にも空間的にもゆとりを持って生きることの重要性は言うまでもありません。そんなことを考えると、間と言う言葉を巧みに使い分けて、社会活動を発展させ、多様な文化を形成し、文明を生み出してきた人間社会のすばらしさにも気づかされます。

秋の夜長は昔から読書で過ごす最適な季節ともなり、読書の秋と呼ばれています。秋の夜長を、雲間に輝く月を眺めて、猛暑に耐えて過ごした夏を思い出したり、本を読んで過ごしたり、皆さんが素敵な間を持たれることを願って、長月のコラムを終わりたいと思います。


▲8月26日 天体観望会にて。望遠鏡でのぞいた薄雲越しの月。


▲8月26日 月と雷と花火の競演。(実は人工衛星も見えいてた)
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高柳 雄一(たかやなぎ ゆういち)

1939 年4月、富山県生まれ。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。1966年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、日本放送協会(NHK)にて科学系教育番組のディレクターを務める。1980年から2年間、英国放送協会(BBC)へ出向。その後、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサーなどを歴任し、1994年からNHK解説委員。
高エネルギー加速器研究機構教授(2001年~)、電気通信大学教授(2003年~)を経て、2004年4月、多摩六都科学館館長に就任。2008年4月、平成20年度文部科学大臣表彰(科学技術賞理解増進部門)