ロクトリポート

3.11特別プラネタリウム 「星空とともに」で見えたもの

特別プラネタリウム 「星空とともに」

「星空とともに」は、東日本大震災の後、2013年に仙台市天文台が制作したプログラム。
多摩六都科学館では、毎年東日本大震災が起きた3月11日に近い土曜日に投影しています。
被災者の言葉を紡ぐプログラムで、震災当日の星空を当館の投映機「ケイロンⅡ」のリアルな星空とともに、当時のこと、被災地へ思いをよせながら見ていただくプログラムです。

当館スタッフの個人的な感想をご紹介します。

【東日本大震災から12年。「星空とともに」で見えたもの】

2011年3月11日、あたたかな春の日差しに包まれた午後に、マグニチュード9.0の巨大地震がおきました。建物の倒壊や火災、大津波により、2万人以上の死者・行方不明者が出た大災害でした。多摩六都科学館のある東京では、震度5強を観測しました。
現地との連絡はつながらず安否が確認できなかったり、放射能漏れの影響による水や食べ物の不安、物流が滞りスーパーの商品棚が空っぽになったり、様々な噂が流れたりと、ほんの一ヶ月の間にも世の中の空気はガラッと変わりました。

その日から12年後の3月11日。仙台市天文台の皆さんが制作した「星空とともに」を観覧しました。地震による津波や火災で街の灯りが消え、暗くなった地上からは、夜空に広がる星々が一層輝いて見えたそうです。「町の灯りが消えて、星空がかつてなく美しく見えた。しかし、その下には見るもつらい、人や大地が傷ついた風景がある。夜の闇が少しの間その傷を覆い隠し、上空に輝く満天の星を見ることが救いになっていた」――以前テレビで聞いた言葉を思い出しながら、27.5メートルの大きなドームに映し出される当日の星空の中に身を置いて観ていました。
星空を見た後は、被災した人たちの短い言葉が映し出され、淡々と優しく紡ぐように読まれます。発生後の被災地の様子は映し出さずとも、被災した人の言葉が胸に迫ってきました。悲しみや絶望の言葉ばかりが並ぶわけではありません。伝えられない思いをぐっとおさえて星空に託す。目に熱いものを感じながら、被災直後の報道映像や、自分が訪れた数年後の被災地の光景が脳裏に浮かんできました。

当時私は第2子を妊娠中で、約一か月後に無事に産むことができました。被災地には、親戚が3軒と、牡蠣漁師を営んでいた学生時代の先輩夫婦もいました。当時は地震発生から数日間、連絡がつくまでインターネットと電話、テレビにかじりついていたことを思い出します。出産後も現地に行けない分、どうしたら被災した人に寄り添えるか考え自分なりに行動しました。物資を送ったり、復興オーナー制度で牡蠣を購入したり、現地が復興しはじめてから顔を見に行ったり、できるだけ迷惑にならないように応援しようと思いを寄せていました。それから12年経ち、その時お腹にいた赤ちゃんは今12歳になりました。干支を一周し、その子は無事に(?)反抗期を迎えています。

震災から12年経ち、「星空とともに」を見て感じたことは、「当時の感覚が薄れかけている」ということでした。いつの間にかコロナ禍や日常に流され、身近にいる家族や、被災した人たちへ想像をめぐらせ向き合うことを忘れかけている。また震災を機に意識が高まった防災という取り組みがどこか形骸化しているようにも感じました。
岩手県に住む親族へ、気仙沼で漁師を続けている先輩へ、電話したのはいつだろう。スーパーの商品棚に並ぶ防災グッズを見て「備えが大事」と思いながら、備えを先送りにはしていないかと、改めて気づかされました。

復興は進んでいますが、コロナ禍やウクライナ侵攻など、乗り越えるべき課題は引き続きやってきます。そんな時こそ星空を見上げ、星空の下の暗闇を想像したあの日のことを思い出すようにしようと思いました。また、震災を知らない世代もこのプログラムを見て、改めて災害について知るきっかけにしてほしいと思います。

(A.H)

(2020/3/11)では、
多摩六都科学館から見た2011年3月11日の星空についてご紹介しています。